女子大生が考える日本の政治

一方の意見ばかりを流すメディアの姿勢に疑問

私がニュースを見ていて感じることは、若者の意見とひとくくりにまとめられている団体に対しての疑問感である。
確かに彼らは、若く私と同じ大学生であり意見を言う権利を十分に持っているとは思う。しかし、彼らの意見と真逆の考えを持っている同じく若い者もきちんと存在している。そして同じように活動している。それにも関わらずテレビのニュースで取り上げられるのは一方のみである。

沖縄の件に関しても同様であると考えられるが、民意とはいつもひとつではないのである。人の数だけ考えや妥協点は異なるのではないだろうか。

ただ、毎日慌ただしく生活している我々現代人はそのひとりひとりの意見を自ら聞きにいくということは出来ない。だからこそ、マスメディアの価値があるといえるのではないか。
片方の意見だけを流すメディアの価値とはどれほどのものだろう。私にはそれほど価値もないように思える。

自分と同じ意見ばかり流されても「もうそれはわかっている」という解釈になるし、反対の意見ばかり流されても「私の考えは尊重されていない」と感じる。
民主主義と言うのだからメディアが平等であることは当然である。ただその当然が出来ているか振り返って見たとき逸脱しているいくつかのメディアに対して嫌悪感を抱いてしまう。

日本の良い政治は政治家だけで出来るのか、決してそうではない。いつの時代も平等で客観的なメディアがサポートしていかなければならないし、そうするべきである。自由な発言やキャスターの意見よりも事実を伝えることに専念してもらいたい。

最悪な政治家を選んでしまったら、その罪は国民にもある

だからといって優秀な政治家と優秀なメディアだけで日本が良くなるのかといえばそれは違う。

選挙権を持っているのは日本人である私たち自身である。私たちはその権利を使いより優秀な政治家を選ぶことが出来るとともに最悪な政治家を選んでしまうこともある。
政治家が何か悪いことをするとその政党や本人を批判するが、同じく私たちにも選んだ罪があるのではないかと考えることがある。

優秀な政治家を当選させることを忘れて無能な政治家に投票してしまったという罪は全くないのか。
私は日々落ちていく投票率を残念だと思っている反面で、無知なまま選挙にいって単純な理由で投票されるよりはましだと考えてしまう。大切な一票の重みを私はもう一度確かめたい。その一票を投じる自分は無能ではないかということを。

では、無知は悪いことなのかということである。
無知は断じて悪いことではない。はじめはみんな無知で無能であるのだ。ただ、それでよしとするか学ぼうとするのかその違いだけである。

日本人は極めて真面目で私はそこが大好きなのだけれども外国人の友人と話していると政治の話の多さにとても驚かされる。
彼らの会話には私たちのように世間話もゴシップネタも同じようにあるけれど、ふとした時に「空爆について君はどう思っている?」と聞かれたりするのである。
ボケッとしていると、この人は何も知らないし、何とも思っていない、考えていないと思われるのですぐに自分の考えを話す。彼らは友人関係以外でもバスや電車で隣になった人ともそのような政治の話をするそうだ。

この体験をした時、私は思った。ただ聞いて情報を得ているだけでは意味がないと。自分で考え意見を発してこそ価値があり、そこには責任を持つ必要があるのである。

そこまで考えて意見を発したりする人は選挙に行かないなんてことはまずないだろう。だから外国は日本に比べ投票率が高いのだと思った。

つまり私の考えは、投票に行かないのは政治を理解していない、または考えを持てていないからであり、理解出来ず意見を持てていないのは、情報の不足と関心の薄さであり、日頃のコミュニケーションにないからではないかと考えるようになった。

私の住む大阪では維新の党が打ち出した大阪都構想の国民投票が行われた際に、大阪都構想について理解していない人が大勢いた。分からないから反対に入れたという人もいた。

どちらの方が大阪にとって良いかということは置いておいても、分からないから反対という人の一票と分かっていて賛成にした人の一票では価値が違うのではないだろうか。
それならいれなければ良いのにと思ってしまう。

情報がない、わからないという言葉は正直ただの甘えである。
この情報が溢れている社会で情報がなくわからない、理解できないのは誰の責任だろうか。ひとりひとりの頭に理解させるまで党がやらなければならないことなのだろうか。

私たちはもっと政治に期待し、未来に期待し、学び、活動に加わっていかなければならないのではないだろうか。
誰かの意見に最終的には収まるということになるからといって、丸投げ状態ではいけない。丸投げにしておいて、明るい未来を保証してくれと政治家に求めることは間違っている。

私は、日本の明るい未来を政治家がつくってくれるとは思わない。現実には政治家だけではつくれないのである。求めるばかりではいけない、政治家は私たちの代表として国を動かしているのだ。もっと身近なことで言えば、生徒会のようなものだ。生徒会の役員を選ぶのは誰か。それは同じ生徒である私たちではなかったか。

湊アリサ

湊アリサ

20歳、独身、女。大阪で生まれ育ち、現在は実家から大学に通う大学3年生。就職活動が近づき、政治や社会への関心が強くなった。平和と平等を大切にしたいと思っている。