保守・リベラル・右翼・左翼などの言葉は、辞書で調べても素っ気ない説明になっています。
明確な定義がなく、人によってまちまちに使われているにもかかわらず、それでも人が口にしてしまうこれらの言葉(「バズワード(buzzword)」あるいは「プラスティック・ワード(plastic word)」という)の意味を可能な限り、色々な角度から見ていきましょう。
保守とリベラルは必ずしも対立している思想ではない
保守主義者が共通して長年大事にしてきたのが「伝統」や「権威」です。
18世紀の政治家であり思想家のエドマンド・バークが急進的なフランス革命に断固反対し、漸進的な変革を目指すことを主張した政治的イデオロギーが本格的な保守主義の始まりといわれています。具体的には「保守すべきは制度や慣習」「そのような制度や慣習は歴史のなかでつちかわれたものであることを忘れてはならない」そして「大切なのは自由を維持すること」「民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的改革が目指されることを踏まえる必要がある」というものです。
その後の保守主義は、かつてのイデオロギーに加えて新たな側面も出てきます。
例えば20世紀においては社会主義と対立して闘うという自由主義尊重の立場であったり、その後、福祉国家の行き詰まりをもたらしたケインズ派的「大きな政府」と対立する「小さな政府」を目指す新古典派の立場が保守主義であるという時代などを経てきました。
日本における保守主義の世界も、「反共(反共産主義)」の思想をベースとした保守主義者が大多数です。保守主義が守るべき「伝統」は、敗戦・占領経験を経て長年続いた多くが瓦解してしまいました。保守主義者は戦後の冷戦構造の状況に対応すべく「反共」「自由主義的な経済成長」を旗印にしてきたのです。
政治の舞台では、「急進的国家主義者」から「リベラル保守」と呼ばれる幅広い種類の人々を大きく包括する保守政党(自民党など)が戦後ほとんど政権を担当しています。
しかし、世界における冷戦の終結・日本における高度な経済発展をうけて、明確な対立軸が存在感を薄めた状況の中、保守すべきものの理念が曖昧になってきています。深く歴史から学び、何を継承するか、守るか。この課題は、「戦後レジームの克服」(安倍首相)が語られる今日、さらに重要なものになってきているでしょう。
一方で、リベラルの思想は、「個人の自由を最大限尊重する」「社会的弱者の声に耳を傾け、そのような人々のことも同じ人間として尊重する」といったものが根底にあり、さらには「戦争反対・平和主義」「反核」「環境問題解決」「経済などの格差拡大に反対する平等主義」、そして日本においては「護憲主義」が加わり、社会主義国がほぼ消滅した現在でも、左派政党(共産党など)との融和性が高い思想です。
現在においては、ひとりの人間が保守かリベラルか、はっきりと区分できないほどに両思想は必ずしも完全な対立をしていません。個の集合体である政党においてはなおさらで、ひとくくりに、保守・リベラルと分けることが難しくなってきています。
ナショナリズムと伝統を守る右翼、支配階級をなくすために闘争する左翼
1789年にフランスで革命が起こった直後に開かれた議会は、鳥が羽を拡げているように見えて議長席はいわば鳥の頭。そこから見て右の翼(議席)には保守的な人が座っており、右翼と呼ばれました。左の翼(議席)には急進的な人々が座っていたので左翼と呼ばれるようになりました。
時は経て1917年のロシア革命の時、革命家たちは「我々は左翼だ。正義だ」と叫んで蜂起。「皇帝・貴族・地主たちは右翼で、悪だ」と断罪したのです。つまり、かつて「右翼」は批判・罵倒の言葉で、蔑称でした。もちろん客観的に見ればどちらが善か悪かは分かりません。
日本の場合、これを戦前の警察は便利な分類法として使うことにしました。当時のソ連など外国と通じている人々が「左翼」。保守的で国粋的な人々が「右翼」。どちらも過激で危険とされ監視対象になりました。
右翼が大事にしている思想は、主に「国家主義(ナショナリズム)」「伝統主義」「反共産・反社会主義」です。
神武天皇以来、歴史を重ねてきた国家に誇りを持ち、共産主義や社会主義が人間の平等を根拠に、天皇制を打倒しようとしていることは許さない、という主張を多くの右翼は持っています。右翼の世界では「国体(万世一系の天皇を中心とした国家体制)」の維持は絶対必要とされています。
そんな中、「一人一殺」という、一人が一人の奸物(悪人)を殺すべしという考えが昭和初期のテロリズム肯定の論理・潔癖さを象徴する言葉として使われました。しかし、太平洋戦争後の「天皇人間宣言」により、右翼の存在は一時かなり弱まりました。
左翼は、戦前の日本においては資本家の横暴を許せずに正義感から立ち上がった、マルクス主義の理論的後押しを受けた比較的若いインテリ・知識人・学者による運動が始まりです。「革命」という手段で既成の制度・価値・社会を変えて、階級支配をなくすために闘争するのが左翼の伝統的価値観です。
しかし戦後に、既存の左翼の方針に不満を抱いたグループが独自に活動するようになり、「新左翼」という呼称を用いて徹底した武装闘争路線をとり過激派になって数々の痛ましい事件を起こしました。その後、世界の社会主義国がほとんど崩壊したのが痛恨事となって急速に新左翼活動の勢いは衰えていきました。
右翼・左翼ともに社会を良くするために行動を始めた点は一緒です。どちらが優れているか、という議論は、さほど重要ではないでしょう。ただ言えるのは、かつての陰惨な暴力的手段で世の中を変えるという発想は完全に捨てて、お互いに健全な言論の場での実りある討論が求められるということです。
「右翼」と「保守」、「左翼」と「リベラル」の関係性
右翼と保守は何が共通して何が違うのか? 明確な基準・定義はないのですが、あえて言うならば、急進的か否か、無謬(むびゅうせい)性を持っているか否かでしょう。これは左翼とリベラルの関係にも当てはまります。
右翼と左翼が、程度の差こそあれ、時には暴力的手段を使ったり過激な言動が目立つ(現在も街宣活動やデモ活動など、強めの実際的な行動をとる人々が多い)のに対し、一般的な保守主義者やリベラリストは、あくまで自らの思想の上で穏健にその立場を取り、実際的には、選挙での投票活動などにとどまります。
政治家も多くは急進的な行動には走らず、穏健な言論での活動を主としています。そして無謬性に関しては、右翼・左翼の人々は非常に強く持ち、保守・リベラルの人々は比較的柔軟に状況対応します。
20世紀、英国首相を務めたウィンストン・チャーチルは、「20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。40歳のときに保守主義でないなら、思慮が足りない」という言葉を口にしたそうです。かつて保守主義といえば、さまざまな人生経験を経た人間の分別ある思想であり、若者であれば、リベラルであったり、左翼的であったりするのが当然だという雰囲気が日本にもありました。
しかし、そのような雰囲気は現在においては崩壊しています。そして、リベラルと保守は必ずしも対立しあう概念ではなく、「リベラル保守」を自称する人々も多く現れている昨今、何を重視し、継承し、何を新しく構築するか、といった多様な論争が必要になってくるでしょう。
保守・リベラル・右翼・左翼など、それぞれの立場がそれこそ節度をわきまえて、生産的な対抗関係を維持するのが今後ますます重要になってきます。