政府の規制改革推進会議は4月16日、放送制度改革の本格的な議論をはじめました。この中で安倍首相は放送法4条の扱いに言及することはありませんでしたが、水面下では4条撤廃を検討する動きもあるようです。規制改革推進会議は、放送法を変えるべきか否かも含めた議論を進め、6月にも改革案を取りまとめ、首相に答申する予定です。
テレビはインターネットにかなり押されているとはいえ、現在もメディアの王者として、国民の選挙などにおける政治判断には非常に大きな影響を与えています。立法・行政・司法と並ぶ「第4の権力」とも呼ばれるテレビ局に対して保護と制約を与えている放送法。その概要と、今、この法律を変えた場合どうなるであろうか、も考えていきます。
安倍政権とメディアが対立する火種「放送法」とは
放送法の第1条では「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」という文言があります。そして同条2項では「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と記されています。これは、政府による放送への介入禁止と読む解釈が伝統となっています。
政治権力が放送事業に恣意的に介入して放送内容(当時はテレビはなかったのでラジオのみ)をコントロールした先の大戦における全体主義への反省などから、GHQ占領下において制定された法律です。
なお、テレビを設置した者へのNHKの受信契約及び受信料免除不可の決まりも第64条に明記されています。ちなみに、この放送法には全体的に罰則規定はありません。
政治的公平性を求める「第4条」がカギ
では、政府が削除を検討していると言われる肝心の放送法第4条を見てみましょう。
第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、各号の定めるところによらなければならない。
- 1・公安及び善良な風俗を害しないこと。
- 2・政治的に公平であること。
- 3・報道は事実をまげないですること。
- 4・意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
日本国憲法で「言論の自由」が認められているとはいえ、多数の人々が視聴するテレビには世論を大きく誘導しかねない力があるため、政府による放送支配の否定はもちろん、放送業者(テレビ局)の「公共の福祉に反しない」番組制作が求められているわけです。
総務相とジャーナリストと「視聴者の会」
2016年、高市早苗総務相(当時)のいわゆる「電波停止」発言に抗議する記者会見を鳥越俊太郎氏らジャーナリストが開きました。高市大臣に対して「発言は憲法、放送法の精神に反している。言論統制を進めたいと思われても仕方がない」とする声明を発表しました。
それに対し、上念司氏が呼びかけ人の「放送法遵守を求める視聴者の会」は「現在は(政権に反対する)『偏向報道』という言葉では手ぬるい、違法な状況が蔓延している」と主張し、放送局に対して、可能な限り公正な報道を求めるという、ジャーナリストたちの声明に反する意見を展開しています。
ところで高市大臣の「電波停止」発言は多くの誤解が誤解を呼んで一人歩きしているようですが、2016年2月8日の衆院予算委員会での答弁は「(前略)電波の停止に至るような対応を放送局がされるとも考えておりませんけれども、法律というのはやはり法秩序というものをしっかり守ると、違反した場合には、罰則規定も用意されているということによって、実効性を担保すると考えておりますので、まったく将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません」ということで、高市大臣は「電波停止する」とは一言も語っていません。
放送法が変わったらどうなる?
政府は規制改革推進会議で放送法の改正を含めた放送制度改革を進めていく意向です。規制改革推進会議では、第4条の問題だけではなく、NHKの契約(ワンセグ問題などを含む)や受信料といったありかた、インターネット放送の位置づけ、電波オークションなどさまざまな事柄が議論されるでしょう。
現在その詳細や方向性ついては何とも言えませんが、もし放送法が変わったらどうなるのかを第4条が削除された場合を仮定して考えてみましょう。
放送される情報の公平性、信頼性が揺らぐおそれ
デメリットとして考えられることは、政権あるいはそれに近い団体・組織が国民の考えをコントロールする可能性があるということです。そして放送業者も、明らかに公正さに欠ける情報を流すことができます。間違った情報をひたすら垂れ流すかもしれません。
さらには視聴率のことだけを考えた、公序良俗を乱す番組を一日中放送する可能性もないとは言えません。
仮に権力者や既存の放送局が公共の電波を使って国民を欺く事態が起これば大変危険です。
多チャンネル化によって大手放送局以外でも放送が可能に
その一方でメリットもあります。テレビの多局化・多チャンネル化です。米国のように、一般的な家庭でも数十~数百チャンネルくらいの中から自由に見たい番組を選ぶような多チャンネル化が進めば(他の国でも多チャンネル化が進んでいます)、放送法の制約がない状態で自由かつ個性的な番組作りが期待できます。
たとえ偏向的な放送局による偏向的な番組が制作されても数多くの放送局があれば、別の角度からの偏向的な番組も流されるでしょうし、中立な立場からの番組も流されるでしょう。多数のチャンネル視聴により、国民は、さまざまな意見や政策を目にすることができるようになります。
つまり、インターネットのように多様な政治的意見をテレビで得られるようになるのです。多チャンネル化が進めば、たとえ放送法の強い規制がなくなってもテレビに関して国民の「知る権利」は確保できると思われます。
テレビというメディアが国民共有の財産として日本の民主主義に寄与するために、放送のあり方については、政府の規制改革推進会議にだけ任せるのではなく、私たちも深い議論を進めて、声を上げていく必要があるでしょう。