子どもの貧困問題を扱ったNHKニュースで、番組に登場した女子高生に対して番組を見た視聴者から「あれは貧困とは呼べない」と非難が殺到しました。番組の是非をめぐって有名政治家まで発言するなど物議をかもしましたが貧困当事者は何を感じていたのでしょうか?
NHK貧困JK騒動とは何だったのか?
「貧困」はマスコミによってすでにエンタメ化・ネタ化されつつある人気キーワードであり、NHKも視聴率至上主義のマスコミの一端を担っていることは疑いようがなく、「貧困」をテーマにすれば楽して視聴率が稼げるから…という番組制作側の意図が感じられます。
当該番組に限りませんが、NHKが「貧困」をテーマとして取り上げ、ネットで物議を醸すことが過去に何度もありました。原因はどこにあるかというと、NHKのプロデューサーから見れば「貧困者」なのかもしれませんが、TVを見ている視聴者から“この人のどこが貧困なのか”と疑問符がつくようなサンプルばかり集めてくるからです。
そもそも「NHKのプロデューサー」は年収2,000万近く、どこの局でも地方の名士という“社会の頂点”です。日頃貧困者と付き合いなどありませんから、番組をつくると貧困者の実像と離れたどこかおかしな、問題意識のずれたような内容になるのです。
それから、貧困JK炎上劇の背景には「絶対的貧困」と「相対的貧困」の違いが日本人の多くには区別できず、今にも飢えて死にそうな人だけが“貧困者だ”と考えている人が多い問題があります。番組に登場した“貧困JK”が1,000円以上するランチを食べていたとか、パソコンは保有していないのに高額の画材を持っていたという視聴者のネットの書き込みが相次ぎ炎上したのですが、相対的貧困の定義が理解できていればネットにネガティブな弾劾書き込みをする人もいなかったのではないでしょうか。
「趣味を我慢したら進学できるのでは…」の愚
NHK貧困JK炎上問題に関して教育社会学者の本田由紀氏は「犠牲の累進性」というキーワードを提唱しました。これは貧困者が自分の苦境について発言すると、“もっと苦しい人もいる”とか“我慢が足りない、貧困は自己責任”といった言葉を投げつけて、貧困者は発言するなと言わんばかりの制止が入る状況のことです。
誰かが相対的貧困世帯に育ち、上級学校に進学できない…という状況があるのなら、解決する方法は公的な支援を拡充させて奨学金なり他の支援によって希望する進路を歩ませるべきなのですが、そうする方向へ行かずに、ただ「1,000円のランチや趣味をあきらめれば進学できるかもしれない」と問題の本質をそらしてしまうことでしょうか。
実際に、NHK貧困JK騒動は困窮世帯の出身者に大きな衝撃を与えました。
「貧困だと文化的に精神的に“豊かである”ことが許されないのだろうか」
「奨学金で大学へ行くのなら勉強とアルバイトだけしていればいい。サークルに入らず、服を買わず、アルバイトだけやっていろと言われているのと同じ」
「親が裕福であれば(卒業に純学費だけで800万円かかると言われる)私立美術大学へもホイホイ進学させてもらえる。でも相対的貧困世帯に生まれた子はそんな進路は早い時期からあきらめざるを得ない。だから大きな夢を諦めた代償に趣味に多少の金を遣う。その趣味すらネットで攻撃される」
「相対的貧困は外見では分かりづらい」という指摘も
あろうことかNHK炎上劇の最中に、(生保受給者叩きで)有名な政治家の「片山さつき」氏までネットに降臨して論戦に加わり大騒ぎになりました。しかし問題の本質は現政権を担う与党の政治家が相対的貧困や奨学金起因の借金問題に理解が無いことではなく、むしろ国民の側に「相対的貧困も貧困である」という問題意識が足りないことでしょう。国民に意識があれば、そういう政治家は落とせばいいだけです。
日本の子供は6人に1人が相対的貧困状態に置かれていて、相対的貧困は時に大きなダメージを個人の人生に与えると専門家は口を酸っぱくして指摘しています。
相対的貧困は周囲に見えづらい。日本の大学奨学金制度はOECD参加国中でもっとも遅れている現実もあり、公的支援のサポートが必要であるとのことです。