国の最高決定機関で「その発言は女性蔑視に他ならない」とか「それこそが誹謗中傷なんですよ」だとか…この人たちは高い給料をもらってなにやってんだろうなあ、と呆れて失笑してしまうのが国会中継の醍醐味。ですが、こういった発言を切り取って大々的に広めるメディアに乗っかる私たちも、自戒すべきなんですよね。
よくよく調べてみたら文脈とぜんぜん違う、というのが普通になっている危険な風潮
自民党を支持すると右、野党を支持すると左、みたいな極論すらまかり通っている昨今、この手のテーマに触れるのはあまり気が進まないのですが、それでも誰かのストレスが減るんじゃないかと期待して、ちょっと書いてみます。大手新聞のWeb媒体などのお家芸として定着した感がある、センセーショナルな発言だけを切り取って、大筋と外れた方向に盛り上げていく手法について。
センセーショナルの度合いで言えば、最近だと自民党・丸山議員の「黒人奴隷が大統領」という発言を巡るニュースがありました。
本来、丸山議員が述べたかった大筋の文脈は「日本がアメリカの51番目の州になる、という選択は憲法上可能なのか」ということで、その自らのアイデアが荒唐無稽すぎることに対して、「それでもアメリカという国は建国当初では予想もしなかったであろう、言ってみれば奴隷の系譜である黒人大統領を選出するほどの改革を行ってきたので、可能性はゼロではないのかも」という言葉を付け足しました。
なので本来、このニュースは「丸山議員、日本をアメリカ51番目の州にと提案」という内容で報じられるべきだったのだけど、「黒人奴隷」という言葉がセンセーショナルに過ぎたため、NHKまでもがその部分だけを切り取って「丸山議員はレイシスト」という方向に世論は導かれました。
現在でも、この発言がどういったテーマでの議論で飛び出したものなのか、よくわかっていない方のほうが多いかもしれません。
情報のソースを調べる努力を怠ると、メディアの手法を肯定するのと同義というしんどさ
さて。慎重な方ならお気づきでしょうが、私が書いているこの記事でも、センセーショナルな部分を切り取って面白おかしく突きつけるという手法を、さっそく使っています。
ここまでの流れで「メディアのやり口はいつもそうだ」という空気が醸されていると思うのですが、実際は丸山議員の例を挙げただけであり、メディアがいつもそうなのかという検証は一切していません。
そこで自分が把握している範囲で正直に打ち明けると、メディアが発言をおもしろおかしく切り取る手法が常態化しているのは事実でも、意図して文脈を外しているかどうかは「発言者のキャラクターや、時勢による」という認識です。
こうやって書き手がネタばらしをしてくれるなら、私たちも安心してニュースを追いかけていられるのですが、政治の潮目に合わせて、けっこうクリティカルなところで「文脈と異なる切り取り」が行われるのが困りもの。だからいま私たちは、まずセンセーショナルなニュースで関心を持ったあと、それが本当なのかどうか、自分でソースを調べて確認するという手間をかけなければなりません。
なぜなら、その手間を惜しむということは「ニュースの本質なんかどうでもいいから、言葉尻の取り合いだけを楽しんで悪そうなやつをバッシングする」という行為を肯定してしまうから。そう、国会中継でよく見てるアレを、私たちも演じてしまっているということなのです。
信頼が置けるはずのニュースで学んで、ムムムけしからんと憤っただけのはずなのに、実質的には言われのないバッシングに加担しているのだと指摘されるなんて、なんというしんどい時代なんでしょうか。メディアがもっとシンプルに、本来の文脈を強調して報じてくれさえすれば、私たちの小さな名誉も守れるのですが…。
政治への取材力を失いつつある大手新聞社。国民ひとりひとりが調べ、考える時代へ
国会が言った言わないの学級会みたいな状態で威厳を失っているのと同じく、私が子供の頃には正義とスクープの象徴であった新聞社もまた、政治に対しての取材力を失いつつあり、結果として国会答弁のような言葉尻の切り取りで読者の目線を集める手法に頼っているのが現状です。
勢いのあるスクープはもはや大新聞(とその子会社であるテレビ局)ではなく、週刊文春のお家芸という印象すら。
甘利大臣の件、衝撃的でしたね。どうしてそういうことになるのかというと、記者クラブというものに参加していないと政府からの公式な情報発信に迅速に対応できないため(文春は参加していない)、政府の機嫌を損なうスクープには手を出しにくい、という問題が指摘されています。
とくに海外メディアからは「記者クラブはフリーランスを排除し、情報カルテル化している」と厳しく批判されている現状もあります。
よって、私たちは積極的にニュースを調べる必要があるのですが、玉石混交のネットの世界で、より手垢がついていないオリジナルの情報を拾いあげるというのは、一個人の手に余る作業です。日頃から自分の考えをまとめ、必要が生じたらちょこちょこ調べておくなどの工夫をしておけば、政治の世界も少しは見渡しやすくなるかもしれませんね。