政治家は聖職者であるべきか?

政治家は聖職者であるべきとの意見は当然ですが、最近の政治家を見ていると聖職者であるべきとの志からではなく世論やマスメディア、ネット社会に対する対応に必死で本当の意味での聖職者などは皆無ではないでしょうか。

政治家は聖職者でなければならないのか?

学校の先生、医者、お寺の住職、公務員等々と並び政治家も聖職者であるべきだとの意見は当然あると思います。しかし本当に政治家が聖職者であるべきなのでしょうか?
もし政治家が自己の利益を最優先させる一般企業の経営者のような人物であったなら、国は亡びるのでしょうか?
もし政治家が自分の店の利益だけを追求する個人店舗の店主のような人物であったなら、政治は成り立たないのでしょうか?
国を自身が経営する企業と位置づけたり、自分のお店と考えて黒字を出すつもりで政治を行っては失敗するのでしょうか?
もし建前で聖職者を装い本心では経営者的な利己主義で国を動かせば、国は発展するのではないでしょうか?

全体主義から個人主義へとハイスピードで大きく変化した現在、聖職者が国を動かすことは非常に困難となってしまった様な気がします。
もちろん情熱や人の感情を思いやる気持ちが必要なことは言うまでもありませんが、政治家はもっと企業経営者的な考え方や手法で国を運営すべき時がきたのではないのでしょうか。
そうしなければ国内運営はもちろん、多種多様化している国際的な運営も遅れを取るばかりで国の発展は見込めないのではないのでしょうか。
またそれらは学校の先生にしても医者や住職、公務員の方々にも共通するのではないのでしょうか。
聖職者であるべき時と利己主義であるべき時との使い分けがこれからの社会では非常に大事になってくるのではないのでしょうか。
政党も政治家も国を経営する経営陣の一人であることをもっと認識すべきではないでしょうか。

世論とマスメディアとネット社会

では政治家だけが変われば国はよくなるのでしょうか。もちろんそんなはずはないのでしょう。国民も変わらなければならないのでしょう。
では国民一人一人がどう変わればよいのでしょうか。

現在の政治は世論の影響を受けやすくなっています。首相の交代頻度からも分かるように世論が時の政権を変えてしまいます。
その世論はメディアによって大きく左右される時代であることは間違いないでしょう。
また最近ではメディア+ネットの影響が大きくなっています。大きく影響というよりは全てがメディアとネットから影響を受けていると言っても過言ではないでしょう。
これでは政治家が本来の力を発揮できるはずはないのではないでしょうか。(もちろん政治家に潜在的な力がある場合ですが…)

たった一言の失言でその政治家を失脚させてしまい、それまでの政策を無駄にしてしまうことが何度となく繰り返されています。
失言を許す許さないの問題ではなく、税金で時間をかけて育ててきた政治家を潰すのではなく利用することをメディアもネット社会も学ばなければならないのではないのでしょうか。
そうすることで国民一人一人の政治に対する考え方がレベルアップされ、相乗的に国が潤っていくのではないのでしょうか。
メディアもネット社会も政治家が何を言ったか、ではなく政治家が何を成したか、何を成そうとしているかで判断をし時には結果オーライを許す事も必要であると思います。それが国を潤させ国民が潤い成長する事になると思います。
もちろん政党や政治家がもっと自信を持って世論やメディアやネット社会に対してリーダーシップを発揮して、世論やメディアやネット社会に操作されるのではなく操作するくらいの勇気と気概を持ってもらわなくてはいけないことも言うまでもないのでしょうが…。

城戸建

城戸建

大阪生まれの大阪育ち。50歳男性。職歴:金融機関勤務20年、介護関係勤務10年。上場企業勤務時代に不当解雇され現在無職。労働争議中。

政治家が活用すべきインターネットツールは?(複数回答可)

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