中小企業ブラック化⁈

「働き方改革」の「裁量労働制」拡大は中小企業のブラック化を促す!?

2018年1月22日に召集された第196回通常国会では安倍政権が推進する「働き方改革」関連法案の成立に注目が集まっていました。ところが、国会答弁で厚労省が用意した資料のデータに不備があり、安倍首相や加藤厚労相が答弁を撤回するという事態になりました。

個人的な意見としては、法案の是非はともかく、提出したデータが不適切であった以上、法案の内容を変えないにしても、審議は差し戻すべきかと思っています。

とはいえ、昨秋に自民党が選挙で勝利した以上、「働き方改革」の大きな方向性は変わることはありません。法案の微修正があるかもしれませんが、裁量労働制に関しても拡大することになると思います。では、裁量労働制が拡大されるとどうなるのでしょうか?

裁量労働制とは?

裁量労働制とは、実労働時間にかかわらず、あらかじめ労使間で定めたみなし労働時間分、働いたとみなす制度です。つまり、2時間しか働いていなくても8時間働いたと同じ分だけの報酬が支払われ、12時間働いたとしても、8時間働いた分だけの報酬しか支払われません。

こう見ると、仕事のできない人がいつまでも会社に残っていて、仕事を早く終わらせる人よりも残業代をガッポリ貰っているということがなくなるのでいいのではないかと思うかもしれません。しかし、すべての業務にこの制度が適用できるわけではありません。

裁量労働制が認められるのは以下の場合だけです。

専門業務型裁量労働制

労基法で定められた19の業務に限り、労使協定が締結された場合に導入できます。19の業務とは、主に研究者やシステム設計者、マスコミやゲーム関係のクリエイターやファッション・インテリアなどのデザイナー、証券アナリストや、弁護士・公認会計士等いわゆる士業の方がこれに当たります。

参照:厚労省HP

企画業務型裁量労働制

経営企画(自社経営の企画、立案、調査及び分析)などの業務に従事していて、従業者自身の同意がある場合は認められます。

参照:厚労省HP

今、国会で審議されている裁量労働制の拡大については、「企画業務型裁量労働制」の対象範囲を広げることを意味しています。広げる対象は以下の通りです。

  • 【1】法人顧客の事業の運営に関する事項についての企画立案調査分析と一体的に行う商品やサービス内容に係る課題解決型提案営業の業務(具体的には、例えば「取引先企業のニーズを聴取し、社内で新商品開発の企画立案を行い、当該ニーズに応じた課題解決型商品を開発の上、販売する業務」等を想定)
  • 【2】事業の運営に関する事項の実施の管理と、その実施状況の検証結果に基づく事業の運営に関する事項の企画立案調査分析を一体的に行う業務(具体的には、例えば「全社レベルの品質管理の取組計画を企画立案するとともに、当該計画に基づく調達や監査の改善を行い、各工場に展開するとともに、その過程で示された意見等をみて、さらなる改善の取組計画を企画立案する業務」等を想定)

労働条件分科会「今後の労働時間法制等の在り方について(報告)より抜粋

小難しく書いてありますが、要は経営部門に近い人たちを対象としていた「企画業務型裁量労働制」を現場部門まで広げるということですね。営業マンやマーケター、工場長あたりが対象となります。対象を広げてみると、ひょっとするとコンビニや居酒屋の店長なんかも当てはめられるかもしれません。

もちろん、裁量労働制は労使協定や従業者自身の同意がなければ裁量労働制は認められません。しかしそれはあくまでタテマエ。上場企業など大企業はともかく、大企業から下請け、孫請けされる中小零細企業では、なんちゃって裁量労働制を導入する企業が増えるのではないでしょうか?

働き方改革で労働時間は短くなっても、仕事そのものは減らない

裁量労働制をはじめ、高度プロフェッショナル制度の導入など、今回の「働き方改革」法案が実施されれば、コンプライアンスを遵守する上場企業や大企業などの従業員は、労働時間が短くなっていくと思われます。社内システムの見直しや、ICTの導入などによって働き方を効率化することで、社員全員の労働時間が短縮されます。

しかし、いかに効率化を図ったとしても限界があります。適正な労働時間の業務量を100として、それまでの業務量が仮に150だとしたら、どのくらい圧縮できるのでしょうか?

労働時間を短縮したとしても、こなさなければならない仕事の量はそんなに簡単に減らすことはできません。仮に20%の効率化に成功したとしても、業務量は120あります。残りの20はどう裁くのでしょうか?

従業員を増やし、業務を分散させるワーキングシェアを行うことができれば、ひとりあたりの業務量を減らすことができます。しかし、会社全体の業務量は変わらないわけですから、売上も変わりません。つまりワーキングシェアを行うとすれば、企業が利益を減らして人を雇うか、従業員が賃金を減らして、ほかの人を雇うかのどちらかになります。

企業としてみれば、利益を減らして人を増やすことはリスクや負担が大きくなるため、高い業績を上げている企業でなければできません。一方、従業員にとって自分の賃金が下がることは死活問題です。そうでなくても残業代が減ってしまうわけですからこちらも難しい。

そうなると、業務量120をみなし労働時間のなかで処理させる「裁量労働制」を活用するか、溢れた20の業務をアウトソーシングするという選択肢になります。

裁量労働制で中小零細企業がブラック化する

裁量労働制を使って業務量120の仕事を処理するということは、国会審議などで野党が危惧していることそのものです。コンプライアンスを遵守する上場企業などでは、外部の目もあるので、みなし労働時間の乱用はそれほど起こらないでしょう。問題は、20の業務をアウトソーシングされた下請けやさらにその孫請けの中小零細企業にあります。

発注する側は基本的には、発注額を上げません。発注額を上げないままに、いままでになかった業務を少し増やします。受注する側は断れません。受注を失うリスクよりは、「ちょっとぐらい業務が増えても」と思うわけです。そのしわ寄せは中小零細企業の従業員、あるいはフリーランスで働く人たちにまわってきます。

マスコミ業界にはびこる「遅くまで仕事するやつが偉い」神話

かつて出版社や編集プロダクションといったいわゆるマスコミ関係の会社を何社も渡り歩いていた頃の経験を少し書きたいと思います。

出版業界は業界全体の市場規模がそれほど大きくないので、講談社、集英社、小学館といった名の通った版元以外の出版社や編集プロダクションはほぼ中小零細企業です。多くの会社の編集者は裁量労働制の名の下で働いています。しかし、労使協定なんて聞いたこともありませんでしたし、そもそも就業規則だって見せてもらったことはありません。

月刊誌の編集をしていたことが多かったのですが、朝が遅く夜も遅いという傾向がありました。出社時間は定時で10時、前の日に終電近くまで仕事をしてたら、時差出勤と称して、お昼出社なんてザラでしたし、「取材」「打ち合わせ」「資料集め」なんてホワイトボードに書いて、現場に直行直帰。その実何をしているかわからない人も結構いました。

印刷所の締め切り(入稿日)まで日にちがあると、結構のんびりしているのですが、入稿日が近づいてくるとみんな殺気立ってきます。入稿日3日前に追加取材をしてみたり、入稿日の夕方になっても原稿が上がってこなかったり、挙句に印刷所に泣きついて入稿日そのものをずらしてもらったり…。入稿日5日くらい前からは徹夜が当たり前、みたいな世界でした。

「今月も3日続けて泊まりだ」とか「2日も風呂入ってないから銭湯行ってくる」「寝袋新調した」みたいな徹夜自慢をするわけです。もっと前から準備しておけば、徹夜しなくても済むのではないかとも思うのですが、夏休みの宿題は最後にまとめてやるという人間ばかりが集まっていたような気がします。

歩合制の下請けやフリーランスは無茶量を短期でこなす

雑誌を発行しているいわゆる版元はまだいい方です。印刷所との交渉次第では日程も融通が利きますし、締め切りに余裕があるときは裁量労働制の良い面も感じられます。何より月給制なので、食いっぱぐれることがありません。

しかし、編集部の下請けとなるデザイン事務所やフリーのライター、カメラマンは大変です。担当の編集部や編集者にもよりますが、金曜の夕方に原稿やデザインの仕事を発注して「月曜の朝イチによろしく」なんてことはよくある話です。(担当編集はわざわざ発注しに事務所まで来て、そのまま飲みにいきます。直帰します。)

また、1ページ○○円で、何ページという話だったのに、ページ数だけ増えて、価格は据え置きなんてこともあったりします。

カメラマンさんなど、フィルムカメラ時代にはなかった「レタッチ」という業務が新たに加わり、撮影後の業務工数は格段に増えたにも関わらず、一部の大御所を除けば価格は下落する一方だったりします。(かんたんな写真は編集部がコンパクトデジカメやスマホで撮影してしまうので、仕事そのものが激減しているのです。)

また、仕事が重なって立て込んでも、スケジュールをずらしてもらうことができないので、とにかく締め切りまでに仕上げなければなりません。フリーランスなどは歩合なので断ろうものならば、次から仕事がなくなったりします。

テレビなどの放送業界で働いたことはないのですが、放送業界の方に話を聞くと、似たようなものだったので、専門業務型裁量労働制が適用される業務に携わる人たちにとっては「あるある」なのではないでしょうか?

私が勤めていた頃よりはマスコミ業界全体も少しはマシになっているかもしれませんが、どの業界でも多かれ少なかれ、下請け企業やフリーランスは安い価格や無理なスケジュールを強いられるという事実があることは確かです。

企画業務型裁量労働制が拡大されれば、中小零細企業の営業マンやマーケターも似たような状況になるかもしれません。つまり、いままでと労働内容は変わらないのに、裁量労働制の名のもとに残業代は支払われなくなる=収入が減る可能性があるのです。

本当の「働き方改革」は働く人たちと発注者の意識改革

今回、国会審議が紛糾した元となった厚労省の調査データですが、そもそもデータの不備うんぬんより、裁量労働制の利点を示すために労働時間を計測して、一般労働者と比較するということ自体がナンセンスなのではないかと私は思っています。

なぜなら、裁量労働制で働く人の仕事はタイムカードで時間を区切れる仕事ではないからです。

雑誌の特集ページを30ページつくるとして、企画書を書いて、会議をして、取材して、原稿を書いて、デザインしてという作業工程だけを見てしまえば、時間で区切れるかもしれません。

図書館で調べものをしたり、ロケハンに行ったり、といった準備も時間で区切れるかもしれません。しかし、休日に観た映画も、通勤電車で何気なく見ている中吊り広告も、ランチで食べたラーメンも、机の前でボケーっとしている時間も、トイレで踏ん張りながら考えていることも、全部がその特集企画に繋がっていたりします。

その時間を労働時間に含めたら、裁量労働制はとてつもなく長い時間働いていることになります。でも、そこに残業代を払えなんていう人はいません。

裁量労働制は、働く時間に意味を持たせるのではなくて、働いた結果の成果に価値を持たせる制度なのです。

例えばデザインの仕事。あるイベントのロゴマークのコンペがあるとします。そのイベントの意味や狙い、歴史などを時間をかけて調査し、ひとつひとつに意味を持たせ、計算したデザインを生み出すために、何度も試案を練り、数名で話し合って作り上げるチームがあります。一方で、一人で何気なく書いたスケッチを提出する人もいます。

どちらのデザインが採用されるかは、結局、出来上がった作品次第です。

もちろん、プレゼンテーションを含めた全体を作品とみなす場合もあります。その場合でも、基本的に採用する側は過程ではなく、結果を見ます。(実績があればネームバリューのあるどこかのデザインを分からない程度に改変した作品+だれかの素材を勝手に使ったプレゼンで採用が決まる場合もありますが…。)

結果として採用された側は対価が支払われ、採用されなかった側はゼロです。

コンペのようにゼロか100というのは極端な例ではあります。

外注に対しては成果だけではなく、スタッフの労働時間の提供、アイディアの供出、参加したことによる全体の質の向上、なども考慮して価格を決めるべきであると思いますし、そもそも裁量労働制は賃金そのものを高く設定するべきだとも思います。

実際、先に述べた出版業界も大手版元は初任給が高く設定されています。(中小零細は「この業界で働けるだけありがたいと思え」価格ですが…。)

働く人も「遅くまで仕事するやつが偉い」という考えを捨てなければなりません。働く人と発注する側の両者の意識改革が本当の「働き方改革」なのではないでしょうか?

今の国会でも、こういった本質的な議論が進むことを期待します。

武山雅樹

武山雅樹

40代男性、千葉県在住のフリーライター。グルメ雑誌、歴史雑誌、ペット誌、医療系フリーペーパーなど幅広いジャンルで活躍。最近は企業のインタビュー企画やWebサイトのライティングなども手がけている。