“日本死ね”と“国会”

「日本死ね」……とてもセンセーショナルでインパクトのある言葉であり内容でした。
国会での議論、安倍首相の、「匿名である以上、……」の発言、また自民与党の野次にあった「一体誰が書いたんだよ、それ!」等々が話題になりました。
一体何が良くて何が悪かったのでしょうか。

誰が正しくて誰が間違っている?

物議を醸した「日本死ね」のブログ、その後安倍首相は待機児童対策を次々と公言することとなりました。
またそれぞれに対しメディアを通じて賛否両論、様々な意見や議論がおこりました。
しかし揚げ足の取り合いばかりで、今後どうすべきなのか、が国民からは結論が全く見えません。
全てにおいて批判ばかりで建設的な意見が見当たらず今後の方針が見えないのです。

★保育園落ちた 日本死ね!」の女性
お気持ちよく分かります。まさに魂の叫びだと思います。正しい事を言っています。
言葉遣いが汚いや匿名であることは別問題です。
★安倍首相
「匿名である以上、実際本当に起こっているか、確認しようがない」まさに正論です。
正しい事を言っています。
匿名の方の発言を国会でいちいち議論していては時間がいくらあっても足りません。税金の無駄遣いです。
★「一体誰が書いたんだよ、それ!」の野次
全くもって正しいです。第三者の言葉を基準に議論したいのであれば最低限、どこの誰のどのような境遇の方かを明らかにすべきでしょう。
野次が悪い、言葉が汚いはこれも別の問題です。
★問題提起した野党議員
待機児童問題を提起する事は正しいことだと思います。
少子化問題と関連する日本の重要課題だと思います。

以上のように全員が正しい事を言っています。
ただ結論が見えないのです。国会で議論するのであれば結論を出して欲しいと思います。
問題を提起した議員、政党はどうしたいのか、どうすれば解決に至ると考えているのか。提起された与党は本心どう考えているのか。
メディアは都合の良い部分だけではなく議論の本質部分の情報を流す努力をしてもらいたいです。
例えば、政治家はなぜはっきり「現在の人口構成から言って近い将来保育所の待機問題は解消されます。今その部分に税金を投入するのはふ非効率です。今は我慢して下さい」と誰も言えないのでしょうか。

結果を恐れず結論を。

「日本死ね」の女性も、安倍首相も、野次を飛ばした与党も問題提起した野党も全員が正しい事を言っています。
じゃあ「どうすべきか」を具体的に真剣に議論すればよいのではないのでしょか。
批判は止めて、または批判は後にして現実に待機児童問題は重要課題なのですからそのことのみに特化して議論し、一旦結論を出して政策を実行してはどうでしょうか。
マスコミ向けの意見や議論ではなく現実的な議論をしてはどうでしょうか。
結論を出さなければ議論の意味がありません。

国会議員の方々は結果を恐れずメディアを恐れず逆にメディアを上手く利用して現実的な政策を実行して欲しいと思います。
例えば政治家が批判を恐れず「今後日本では人口減少が予想され早晩待機児童問題は解消されるので今は我慢してもらうしかありません。
その代わり子育て支援の部分で一時的に補っていきたいと考えます」というような現実的な発言をしてこそ議論は次へと進むのではないのでしょうか。
「生活に不便だから家の前に橋を架けてもらいたい」の気持ちは分かりますが全ての川沿いの家の前に橋を架けていては財政が成り立ちません。
今いたずらに保育施設や保育士を増やしても近い将来逆に有り余ってくるのは目に見えているのではないでしょうか。
現に地方では児童が不足しているとも聞きます。

政治家は勇気をもってできないものはできない、今は待ってもらうべきところは待ってもらいたい、やれることはやる、と本心を口にすべきではないでしょうか。
もちろん国民も批判ばかりではなく日本が抱えている問題に正面から向き合って政治家を育てることを考えなければならないとは思いますが。
政策や政治家の発言を批判するのであれば最低でも対案くらいは言えるようになりたいと思います。

城戸建

城戸建

大阪生まれの大阪育ち。50歳男性。職歴:金融機関勤務20年、介護関係勤務10年。上場企業勤務時代に不当解雇され現在無職。労働争議中。

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