かみさまの言う通り

日本の低い投票率を歴史から考えてみました

太古の昔から庶民は政治と切り離されてきた

日本の四季は、世界からたくさんの観光客が訪れる素晴らしい景色を醸し出します。そして、古き歴史の祭りや涅槃を守り続けて、延々と後世に残します。

日本人の選挙や公的集会への参加率は極めて悪いです。果たして何故だろうと、今回は歴史を紐解いてみました。

日本の元号は、西暦645年孝徳天皇からとなっています。

日本人が日本の歴史を記した最初の書物は、西暦712年太安麻呂の編纂で、天武天皇へ献上された古事記です。その後、西暦720年には、天武天皇の名で日本書紀が作られています。これら日本最古の書物は、日本の歴史を語るときには、必ず引用されます。

また、日本の各地にある神社の歴史は、皇室を語る上で切り離すことはできません。西暦927年に書かれた延期式神名帳によると、当時全国に神社は2861社あり、3132座の神が鎮座しました。

これによって、日本人のマインドコントロールは、始まったのです。

神社は時には役所の役目をして、地域を束ねました。住民の地域政治に対する関心は、薄くても問題ないという意識が芽生え、政治やまつりごとへの関心が遠のいた感がします。

この神社も、常夜灯や狛犬から歴史を紐解くと、西暦700年代以前は見つかりませんでした。と言うことはわずか200年ほどで、全国展開をしたことになります。当時の交通機関などを考えると、素晴らしいスピードで、全国へ広がったのですね。

その後、鎌倉、室町、安土・桃山、江戸時代へと続くのですが、常に迫害を受けた農民は、まつりごとから遠ざかる存在であり、「お上」という言葉の通り政治は、はるか上の出来事としてDNAに刷り込まれていったのです。そのため、西暦1867年の大政奉還も「お上」の出来事だったのです。

明治になって西洋文化が流れ込んで、生活が西洋化する中で、町民、市民、国民感情ができ上がりましたが、やはり政治と国民の隔たりは解消されることはありませんでした。

そして、日露戦争などを経て、第二次世界大戦でよく分かるのは、国家と国民の距離感です。大本営の発表は、全て鵜呑みにされていました。しかし、戦局が変わることで、少しずつ不信感が増大していったのです。1945年88月15日の玉音放送で、昭和天皇の流れる声を聞き、半信半疑であった敗戦が現実として捉えられました。

敗戦国となった日本は、屈辱の生活と混乱の都会の狭間で、高度成長をしていきました。

日本国憲法の誕生と投票

1945年7月26日に米国、イギリス、中華民国の名において、日本は無条件降伏の最終宣告を受けました。いわゆるポツダム宣言です。その後、受諾に異論を唱えた日本への見せしめとして8月6日広島、8月9日長崎への2度の原爆投下を経て8月14日に正式に無条件降伏を受諾しました。これにより、第二次世界大戦は終結。そして占領国として米軍が入り、戦犯への裁判や民主主義的傾向の復活強化が申し入れられ、平和政治、国民の自由意志による政治形態への移行が決定。日本国憲法の誕生を余儀なくさせたのです。

GHQの指示により大日本国憲法を大きく変えることになった日本政府は、当時の国務大臣松本烝治を委員長として、美濃部、清水、野村、などが顧問に加わり、1945年10月に憲法問題調査委員会を設置。以後7回の総会、15回の調査会を経て、「憲法改正要綱」(松本試案)をGHQに提出しました。

一方GHQは、憲法研究会の「憲法草案要綱」など民間憲法草案などを参考に、「マッカーサー草案」(GHQ草案)を日本政府に提示、結局「マッカーサー草案」を基に松本国務大臣らが日本政府案を執筆。帝国議会の改正手続きを経て、1946年11月3日に日本国憲法は公布に到りました(施行は1947年5月3日)。

新憲法は、日本の歴史の転換点ですがその主な内容として、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重、そして天皇の象徴化などが挙げられます。

日本の元号1300年の歴史の中で国民へ主権を持たせることは、実に画期的なことでした。しかし、自ら勝ち取った民主主義ではありませんでした。国民の何割が理解し、その権利を正しく行使できたのでしょうか?

そして今日に至り、政治に対する批判はネットで拡散されますが、そうではなくて、選挙で投票することこそが、自己主張なのです。一票の重みを知らない日本人は、投票行動に疎い傾向がありますが、国民主権である以上、投票は権利であり義務であります。

主張をするならば選挙で投票を!

近年投票率低下が叫ばれる日本ですが、他国との投票率を比べてもその低さは際立っています。

  •  ドイツ連邦議会選挙 76.2% (2017年9月)
  •  イギリス総選挙 68.7% (2017年6月)
  •  フランス大統領選 74.6% (2017年5月・決選投票)
  •  韓国大統領選挙 77.2% (2017年5月)
  •  スウェーデン国政選挙 85.8% (2014年)
  •  インド総選挙 66.4% (2014年)
  •  日本 第48回衆議院議員選挙 53.7% (2017年10月)
  •  参考1 第22回衆議院議員選挙(初の男女普通選挙) 72.1% (1946年4月)
  •  参考2 第27回衆議院議員選挙(戦後最高の投票率) 77.0% (1955年2月)

昭和の頃は70%台が多かった衆院選挙の投票率も1990年(平成2年)の第39回衆議院議員選挙の73.3%を最後に、以降の衆院選の投票率は60%台、50%台となっています。とくに第47回は歴代最低の52.7%、第48回はワースト2番目の53.7%です。この内の大半は、組織票と呼ばれる政党支持者の投票であり、政党や組織に所属していない人たちの投票率は、わずか十数%なのです。

戦後初の選挙となった衆院選の投票率は72.1%、戦後最高の投票率は1958年の第27回衆院選で77%です。現在の投票率と比べれば高い数字ですが、民主主義国家として胸を張れる数字ではありません。せっかく持っている権利を放棄する日本人のDNAは、どこまで、続くのでしょうか。

また、東洋経済オンラインの記事(2015年1月)によると、若者の政府、非政府組織(NGO)、ビジネス、メディアへに対する信頼度は世界最低の37%だそうです。

権利を放棄して自己を主張することに、違和感と危機感を持つのは私だけでしょうか?

中村進一

中村進一

男性、年齢は50歳以上。人生の折り返しを迎えて、経験と知識を、何処かに残したいと、日々奮闘しています。