私も高齢者になりました。先日井戸端会議のなかで、政治は政治家がするものだと思っている人がいてびっくり。政治は国民みんなでするもの……かと思っていました。
そこでふと、母が高齢になってから投票に行かなかったことを思い出して、ちょっと待てよ、と。
日本の参政権年齢
平成27年6月、公職選挙法等の一部を改正する法律が成立し、公布されました。投票できる年齢の引き下げです。
- 【選挙権】
- 禁錮以上の刑に処せられその執行を終わるまでの者や選挙に関する犯罪で禁錮以上の刑に処せられ…といった選挙権を失っている人以外は平成28年6月19日の後に初めて行われる国政選挙の公示日以後にその期日を公示又は告示される選挙から、選挙権年齢が「満20歳以上」から「満18歳以上」に引き下げられます。
- 【被選挙権】
- 衆議院議員:日本国民で満25歳以上であること。
- 参議院議員:日本国民で満30歳以上であること。
- 都道府県知事:日本国民で満30歳以上であること。
- 都道府県議会議員:日本国民で満25歳以上であること。その都道府県議会議員の選挙権を持っていること。
- 市区町村長:日本国民で満25歳以上であること。
- 市区町村議会議員:日本国民で満25歳以上であること。その市区町村議会議員の選挙権を持っていること。
18歳で政治が分かるのかと言われると、学生生活しか知らなくて、まだ給料をもらって生活するなどの体験もないのに…と思われるかもしれませんが、子供時代の体験で、苦しかったこと悲しかったこと、また嬉しかったことなどを思い出して、社会の仕組みがそこに係っていることに気づいていさえすれば、自分の意見を持っているといえるのではないでしょうか。
それは、近隣・家族の環境や人間関係や育児・学校教育・保健衛生やスポーツ文化など、子供なりに社会のお世話になって生きているということを知っているかどうかではないでしょうか。
この時にはすでに、政治は政治家がするのではなく、国民みんなでするものだということを知っている必要があります。
社会人として 所得を得るようになってからの投票は、勤労者としての喜びと消費者としての喜びを表現する場ともいえます。所得の格差や税金や保険の料率などを身をもって知ることになります。
どんな国の体制がよいのか、各自で考えるようになります。このとき、労働者の味方だなどと主張する候補者は大局が見えてるかとか、環境問題と称して人間の暮らしを後回しにしたり、国民より外国人に親切だったり…。
政治哲学の問題解決力が投票者各自に備わっていることが必要となります。
子どもを授かると、その無力な赤ちゃんのために母は自分の行動が制限され、父は敵と戦ってでも家族を養い守ることを生きがいにして、そのための政治を考えるようになります。
福祉・医療・外交・保育と教育・住宅・街づくり…。このとき親世代と同居だと家事・勤労の分担が大きく違ってきます。
各自がその個性的な家族のために、そして世界中の家族の幸福のために政治を考えることが必要です。
子育てや会社勤めが終わると 孫育て、あるいは職場の後輩を育て、近隣を育て、自分の健康的な生活を続けるために、社会のお世話になっていることに感謝する日々を過ごすことになります。若い人の意見をも聞くことのできる人であることが必要となります。
宗教・哲学的な観点からも間違った投票をしないようにしましょう。
候補者と意見が共有されているか
色んな構成員で成り立っているのが国であり地方なのだから、その多様な意見を「多数決」で決めてよいかどうか。
最終的に多数決によるのが公平だけど、そこに至るまでに十分に話し合い、それぞれの意見の真意を知ることが必要ですよね。
よく、一票を投じるに値する立候補者がいないという人がいます。では、そういう本人が立候補するしかないのでは。
代議士の中には自分で政策を考えている人もいますが、「みなさんのご意見を聞きます」というだけの人もいます。
後者は政治哲学の欠如している人も混じっている可能性がありますね。代議士だから無欲に聞くだけでよいと思っているだけの人はいないとは思いますが、だったら何を考えて立候補したのかを知らせないと投票してもらえないのではないでしょうか。
投票する人も、気の合いそうな立候補者に、この街の改革の夢と実現方法は…、とか、国際問題の、あるいは環境問題の解決法は…などと、意見を届けておく必要がありませんか。
黙っているから投票できない、投票しないと、組織票を持っている外国や暴力団に近い勢力が政界を牛耳ってしまい、大衆が貧困にあえぐ、モラルが低下して不快な生活をするしかなくなる、のではありませんか。
どの党もどの候補者も似たり寄ったりと見える人は真意を見ていないと思います。あるいは育てていないのだと思います。
江戸時代から敗戦までの間、高等教育では四書五経が学ばれました。君子はただ礼節を守るだけではなく不正を正すにあたっては毅然と勇敢な態度ができる人物であることを求めていました。
そうした姿勢を見極める力を投票者はもつ必要があるのではないでしょうか。また、そのように国民全員を育てる必要があるのではないでしょうか。
高齢者の政治的役割
私の母はまじめに投票に行く人でした。高齢になってもTVで政治討論などを見るし新聞もしっかり読んでいるのに、政治家の若い日の活躍場面しか思いださないのか、今はダークだなぁ、と感じる人を支持していたりで娘としてはがっかりしました。
そのころになって、投票に行かなくなっているのに気づきました。政治家が何をやってるのかわからない、自分たちの収入のことばかり言ってる、というのです。まぁ、そのような平穏な時代でもあったとは思いますが。
中には政治を語る議員さんもいらっしゃったのに見えてなかったのでしょうね。自分の生活に責任が必要なくなり、自分の姿勢が崩れてきてまっすぐに見えなくなっていたというか。
自分の姿勢を、自分の生活を、きれいに強く保つことが、参政権の行使につながっていると思います。若い人に投票に行けと言うためには、自分が基本的な生活を正しくして、子どもの時から姿勢を正せる子に育てることが高齢者の社会参加であり、使命でもあると思われませんか。
自分が呆けてしまって判断力がなくなったと思ったら投票には行かなくてよいと思います。でも、若い人はぜひ投票に行ってください。自分一人抜けたからといって何の問題もないと思っているのは間違いです。そんなことだから政治姿勢を知らない、あるいは外国や不良団体のスパイみたいな議員さんが存在するのです。面白がっている場合ではありません。私たちの生活の基盤は政治にあるのです。