舛添要一東京都知事の政治資金私的流用問題など政治スキャンダルに関する週刊文春のスクープが、今年になって相次いでいます。これに対し、これまで日本のジャーナリズムを支えてきた新聞発のスクープはあまり目につきません。日本のジャーナリズムはどこへ行くのでしょうか。
当たり前の調査報道がスクープ連発の鍵
週刊文春のスクープは今年に入り、芸能人の不倫から政治家の疑惑まで次々に飛び出してきました。
政治関係だけでも舛添都知事のほか、甘利明経済再生相(当時)をめぐる現金授受疑惑や、自民党の宮崎謙介衆議院議員(当時)の不倫問題をすっぱ抜き、閣僚辞任や議員辞職に追い込んでいます。
週刊文春編集部のスタッフはざっと60人。このうち3分の2がスクープ記事の担当だそうです。編集会議に持ち込まれるネタをもとに取材班を編成、ネタによっては長期間の潜航 取材に入ります。例え何カ月取材にかかろうとも、裏付けが取れなかったらそのネタはボツ。裏付けが取れて事実と判断したものだけが表に出ているようです。
政界、芸能界、財界など各方面に情報を持つ人材も、多く抱えているといわれています。そのうえで地道な調査を進めているからこそ、これらのスクープを連発できているのでしょう。
かつては新聞が政官界の問題をスクープ
週刊文春は昔からさまざまなスクープで知られていましたが、ここまで独壇場ということはありませんでした。
芸能界の話題なら他の週刊誌も対等に渡り合っていました。政界や財界の話だと、新聞の方が圧倒的に多くのスクープをものにしています。
政界に未公開株がばらまかれていたリクルート事件、北海道警の裏金問題、高知県の闇融資問題など世間を騒がせたスクープを全国紙や地方紙が競い合うように記事にし、権力の監視をきちんと果たしていたのです。
しかし、週刊誌は売り上げ部数の低迷から編集スタッフの数を減らし、調査報道に手が回らなくなりつつあります。新聞社は記者クラブの弊害からか、政治家や官公庁に対し、毅然とした態度で取材する記者が減っています。
その結果、政治家や官公庁の広報記事ばかりが紙面に並び、欧米のジャーナリストからかなり低い評価を受けるようになってしまったのです。
独自取材の余裕もないウェブメディア
紙からウェブへの流れが続く中、台頭してきたウェブメディアですが、現状ではとても日本のジャーナリズムを支えられそうにありません。
ポータルサイトに並ぶ1次情報記事のほとんどが新聞や出版社発。ごく一部のニュースサイトが独自取材をしている程度で、大半は2次情報の記事か、ニュースリリースのリライトでお茶を濁しています。
億単位の投資が必要な新聞などと違い、ウェブサイトはわずかな投資額で参入できます。ビジネスモデルも小規模となり、スクープはおろか費用のかかる独自取材にも予算がないのが実情でしょう。
ウェブ育ちのジャーナリストは、まだ多くありません。記事をチェックするスタッフさえ置いてい ないニュースサイトも少なくないのです。ウェブジャーナリズムは生まれたばかりですから、ウェブからスクープ記事が登場するにはまだしばらく時間がかかる でしょう。
求められるウェブジャーナリズムの台頭
新聞は50代以上の中高年層が読むメディアになっています。週刊誌は右肩下がりの販売不振から抜け出せそうにありません。紙からウェブへの流れはもはや止めようがない状況です。新聞や週刊誌がなくなっても日本社会にとってさしたる影響はないでしょう。
困るのは紙媒体の消滅とともに、ジャーナリズムが消えることなのです。
米国では地方紙が廃刊し、市役所を回る記者がいなくなった途端に、市の幹部が自分の給料を何倍にも引き上げていたことが分かり、問題になりました。ジャーナリズムのない社会では権力者や金持ちが暴走し、社会全体が不利益を被りかねません。
今、求められているのは、次代を担うウェブの世界から ジャーナリズムが活性化することです。文春砲に劣らないスクープを連発するウェブニュースサイトの登場が待たれているといえそうです。