たかが一票されど一票

もし小学3年生の娘に「ねぇお父さん、選挙って何?」と質問されたら、「1枚300円の年末ジャンボ宝くじを10枚だけ買った後、近くの神社に行って、どうかお金持ちになれますようにってお願いして、帰ってくるようなものかな…」と、私なら答える。
少なくとも嘘はついていないと思うが、君ならどう返答するのだろう?

<民意>はいずこに?

2015年夏の、安保関連法案に反対する国会前での抗議デモの様子をテレビで見ていて、私は違和感を覚えた。

確かに、憲法第9条の基本理念である<不戦の誓い>を反故にして、都合のいいように解釈改憲してしまう安倍内閣のやり方はとても危険だし、危惧してあまりある。
しかし、その安倍さんを総理大臣にしたのは、究極的に一体どこの誰よ――? という発想が抜け落ちているような気がしてならない。

調べてみると、去年2014年の7月に安倍内閣が集団的自衛権行使を容認する閣議決定していて、その年の11月に衆議院解散、この時の記者会見で安倍さんは「この解散は、<アベノミクス解散>であります」と、あたかも経済政策だけで国民の信を問うかのような宣言をして、12月に総選挙。
結果、改選議席475のうち、自民党が291、公明党が35で、政権与党が3分の2以上の議席数を獲得して大勝した。

私はこの選挙の時、小選挙区には自民党の立候補者の名前を、比例には共産党を書いて投票した記憶がある。なぜ小選挙区で自民党の立候補者の名前を書いたのかは単純な理由だ。自分が投じた一票を死票にしたくなかった、それだけの動機にすぎない。
しかし、たった1年前のことだというのに、私は覚えてもいないし、思い出すこともできないのだ。おそらく当選したであろう愛知1区の、自民党代議士の名前も顔も…

これが無党派層と呼ばれる人達の、選挙の時のふつうの感覚じゃないの?
冒頭に書いた、主催者発表で約12万人の人達が集まったとされる抗議デモに参加した人の中で、一体何人の人が去年の選挙で誰に一票を投じたのか、その名前を言えるのだろうかと、私は首をかしげたものである。

あえて暴論をぶちまけると、去年の総選挙の投票率は52.66%。
仮に有権者が100人だとして、およそ47人の人が選挙に行かなかったことになるんだけど、私の認識が間違っていなければ、選挙を棄権するってことは、たとえば消費税が20%・30%に増税されても文句は言いませんよと、こんなふうに政府に対し、「どうぞお好きにおやりください」と白紙の委任状を渡している、沈黙の意思表示だよね?
そして屁理屈をこねれば、その47人の人達も主権者たる国民なのだから、有権者100人の中に入るわけで、数の上では有効。これを『民意じゃない』と否定しちゃったら、民主主義って何?ってことにならない?

政府に対し、「どうぞお好きにおやりください」と白紙の委任状を渡している人達が、100人中47人もいること自体、大問題なのに、これに輪をかけて小選挙区制度では、死票が多く出るという大問題があって、極端なことを言えばこうなる。

たとえば前述の100人中、選挙権を行使した53人のうち、27人がA候補に投票し、26人がB候補に投票したとしたら、小選挙区制度では当選者は一人だけだから、A候補が当選することになる。たった1票の差なのに、B候補に投票した26人の意思がゴミ箱行きになっちゃうわけ。
100人中、27人の意思をもってして、これを日本国民の<民意>としていいものかどうか、はなはだ疑わしいが、まだ希望はある。

もう一つの選挙

憲法81条に、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と明記されている。
違憲立法審査権については単純に説明できる事柄ではないので、toshiさん執筆による、「なぜ法案段階で違憲立法審査をしないのか?」という題名のブログを読んで理解してもらいたいが、私達有権者は、最高裁大法廷にずらりと居並ぶ最高裁判事達を直接クビにできるのである。

総選挙と一緒に実施される最高裁判所裁判官国民審査がそれだ。
15名いる最高裁判事を、全員一度にクビにできるわけではなさそうだが、あれもれっきとした選挙である。

この秋、強行採決され成立した安保関連の法律が、憲法違反にならないのかと訴えても、門前払いを食らうのは目に見えているが、<最高裁は憲法裁判所にあらず>という理屈だけで訴えを却下した最高裁判事がいたなら、その判事の名前の下に根気よく×印をつけ続ければいい。
そうしていれば、いずれ、あるいは司法判断が変わるかも。

この意味合いでも、まだ希望はある。

冬月徹也

冬月徹也

名古屋市在住 小学生の娘を持つ51歳の父。難病のため就労継続支援A型事業所にて働く。政治に格別関心はないが、現行憲法のままで良しとしているので、日本国憲法の在り方には憂慮するところがある。