緑が眩しい流山おおたかの森駅南口

人口減少時代に、生き残る自治体の秘訣

地域にあるものを活かす町、ないものねだりで疲弊する町

民間会社がそうであるように、自治体もお客様、お得意様がいなければ、その自治体は活力を失い、衰退の道をたどることになる。人口減少時代に生き残る自治体は、その町のお客様創りに努力し成果をあげている。自治体のお客様とは、そこに住む市民「定住人口」と、その町にイベントや観光などで訪れる「交流人口」のことだ。

人口減少時代の中で、国内外から交流人口を増加させて地域経済を活性している北海道ニセコ町、長野県小布施町、徳島県神山町、上勝町、独特な地域経済活性化策で人口減少を止めた島根県海士町など、その事例は枚挙に暇がない。

これらの町に共通しているのは、地域にないものを作りだすために国からの補助金を獲得する「ないものねだり」ではなく、自分たちの地域にあるものを資源として最大限活かす知恵と工夫だ。人口減少時代には、定住人口を増やし続けるのは至難の業だが、交流人口を増やすことは、工夫次第で無限大の可能性がある。

一方、ないものねだりをして、国からの補助金を獲得して作った地域活性化の起爆剤となるはずの公共施設や公共工事が、赤字を垂れ流すだけでなく、毎年、その維持管理費に自治体財政を消耗され、地域経済が衰退の一途をたどっている自治体も少なくない。

流山市の人口構成の変化

地味な町「流山」が「都心から一番近い森の街」に

10年前まで、流山市は人・モノ・お金が東京や柏などに流出するばかりの地味な街だった。人口15万人の都市としては、その知名度も情報発信力も不相応に低かった。そのことが、流山市民の流山市に対するプライドを削ぎ、どこに住んでいるかと聞かれて「柏の近く」とか「松戸の先、野田の手前」と答える市民が圧倒的だった。

そのような流山市の喫緊の課題は2つあった。ひとつは、急激な高齢化による市民サービスや財政悪化対策だ。そのため市長就任後から行財政改革「1円まで活かす市政」に取り組んだ。予算編成時の3社見積もり制度の導入と、予算執行時の130万円以上の事業の一般競争入札導入で、同じ仕事をそれまでの6割の予算で実施できるようにした。数年後には、人口に対する職員数では千葉県下で最少となり、民間でいう労働分配率に相当する市税収入に占める人件費率も、平成16年度の52.5%から平成26年度決算では34.3%と大幅に改善した。

もうひとつは、定住人口増加策と交流人口増加策の二兎を追う政策展開により流山市の地域経済の展望を拓くことだった。特に定住人口増加策としては、人口減少時代には量より質が優先されるべきと判断し、良質な住環境の維持・創出のために、「グリーンチェーン認定制度」、「開発基準の許可基準に関する条例」、「景観条例」、「街づくり条例」、「地区計画の積極的導入」など住環境の価値を高めるための法的整備を進めてきた。同時に流山市のブランドイメージを「都心から一番近い森の街」とし、市のHPやあらゆる露出媒体でこのキャッチコピーを広め、首都圏・全国への認知度向上に努めてきた。それらの相乗効果により、10年前には流山市の戸建て住宅価格は、千葉県北西部の平均的価格帯(3~4千万台)の供給地であったが、現在ではより良質な住環境とともに当該地域でトップクラスの価格帯(4~7千万台)の住宅供給地に変容した。

緑視率の高い住宅街

緑視率の高い住宅街

森のような緑に包まれたマンション

森のような緑に包まれたマンション

定住人口増加策「母になるなら、流山市」、「父になるなら、流山市」

流山市は住民誘致対象を「共働きの子育て世帯」(DEWKS:Double Employed with Kids)に絞り込み、DEWKSに選ばれるために、保育園や学童保育所の整備に力を注いできた。平成29年4月1日までに、21年度と比べて認可保育園定員数を3倍強増の約5千人となる整備を進めている。
また市内2箇所の主要駅前に保育送迎ステーションを開設し、保護者の利便性向上を図り、定員割れ保育園を解消した。学童保育所増設と教育の質を高めるため小中学校へのエアコン導入などのハード面、チームティーチングや英語教育の充実などのソフト面の両方から環境整備に注力している。さらにすべて英語で授業が行われる私立小学校の誘致など、教育の選択肢の拡大も実現した。

こうした子育て・教育環境の充実とあわせて、自治体では珍しい都内のJRや東京メトロの主要駅へ「母になるなら、流山市」、「父になるなら、流山市」の大型ポスターを掲出し、流山市の子育て環境ブランド強化に努めている。さらに、こうした広告宣伝活動の取組み自体を多くのメディアに取り上げて頂くことで、毎年、広告予算の約3倍の広告宣伝効果を上げている。
これらの取り組みの結果、人口は10年間で2万4千人、16%増加し、長い間、最大の人口層であった団塊の世代(現在70歳前後)よりも30代・40代の人口が3割も多くなり、その子供たちの増加も顕著となっているなど、人口の若返りも進んでいる。

交流人口増加策「流山本町・江戸回廊」、「オランダ遺産・利根運河」

流山市には観光資源が少ない。しかし市内の戸建住宅には敷地面積が広く、手入れが行き届いた庭のある住宅地が広がる。そこで、この良好な住環境を活かし「オープンガーデン」を開催してきた。11回目となった昨年は、首都圏数か所から観光バスが運行され、全国から来訪した2万人の方々に丹精込めて作られた約40庭を楽しんで戴いた。

この他、広域からの集客を意識したお洒落なイベント、江戸時代からの街並みを活かした「流山本町江戸回廊」、オランダ人技師が明治期に設計した流山の原風景が残る自然豊かな「利根運河」、「都心から一番近い森の街」にこだわった緑あふれる商業施設の誘導・指導などにより交流人口は増加の一途だ。

人・モノ・お金が流出するばかりだった本市に、買い物客や観光客が年間1099万人(平成26年度)が訪れるようになった。また流山おおたかの森駅南口都市広場で年間を通して開催される大規模イベントへの万人単位での来訪者数の半分は市外からのお客様となり、一昔前と比べて隔世の感がある。

タイムスリップしたような流山本町

タイムスリップしたような流山本町

首都圏のオアシス「利根運河」

首都圏のオアシス「利根運河」

市民には「住み続けたい」、市外の方には「住んでみたい」流山市へ

この10年間で、市民の定住意向率は7割から8割強へ向上し、流山市を指定して分譲・賃貸物件を探す「選択市民」も少数派から転入者の6割を超えるなど、住宅都市としてブランド化が緒についてきた。「量より質」にこだわった「都市ブランド戦略」こそが、人口減少時代に町を発展させるための推進力だと考える。

人口減少時代に人口が増え、少子高齢化社会においてこどもの数が増える街づくりを進めると同時に、18万人市民が誇りと歓びを持てる流山市を、市民とともに作り上げていきたい。そのために創意工夫を凝らして、効率的で効果的な市政経営に邁進する覚悟だ。

井崎義治

井崎義治

流山市長(千葉県)

1954年2月11日生まれ、O型。
東京都杉並区生まれ。柏育ち、昭和63年から流山在住。
立正大学文学部地理学科卒。サンフランシスコ州立大学大学院人間環境研究科修士課程終了。
日・米で都市計画コンサルティングに従事し、2003年から流山市長。現在4期目。

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