引退議員を知る:江田五月参議院議員編

今年夏の参院選に立候補せずに引退するベテラン議員が多数います。その中で今回は中小政党の代表から議長経験者から大臣になるなど波乱万丈の政治家人生を歩み、この度引退を表明した江田五月参議院議員について振り返りたいと思います。

父の死から政治家へ

江田五月氏の父は江田三郎氏。旧社会党にて幹部を務めた政治家です。
三郎氏は昭和51年の総選挙で落選後、翌年の参院選全国区に立候補する際に離党・社会市民連合の結成を提唱しました。が、その後体調を崩し死去。
五月氏はその後継者として参院選に立候補しましたが、胃が悪化し胃の3分の2を切除する手術を受けての立候補となりました。
選挙戦の半分以上を入院せざるえない闘いの中で江田五月氏は全国区で1392475票を獲得。参議院議員となりました。
その後昭和58年の総選挙で衆議院旧岡山1区にくら替えし衆議院議員となりました。

96年実質ダブル選挙での敗北

その後、反自民連立の細川政権にて科技庁長官に就任した江田氏に転機が訪れます。
1996年秋衆議院に小選挙区制度が導入された総選挙と同時期に岡山では知事選挙がありました。そこに反自民勢力候補として江田五月氏に白羽の矢がたちました。
時の総理は岡山が地元の橋本龍太郎氏。総選挙の翌週に知事選投票日の実質ダブル選の裏側には自民党候補が官僚出身の新人で知名度劣勢の為選挙を近付け組織をフル回転させたい意図があったと言われています。
当初江田有利と言われていた選挙戦は総選挙での自民小選挙区独占など流れは江田氏にとって厳しい流れになり最終的には逆転を許し江田氏は浪人生活となり資格を持っていた弁護士業務で生活をする事になりました。

民主分裂からの復活

1998年江田氏は参院選岡山選挙区から立候補を表明します。当初は無所属での立候補表明でしたが後に民主公認を得ます。
当時の岡山選挙区には民主党の現職議員がすでに公認を受けていました。しかし、当時の菅直人代表が江田氏に公認を出し結局当時改選2の岡山選挙区に民主公認2人と言う事態になりました。
そして投票日全国的に当初優勢と言われていた自民が惨敗を喫し橋本総理が退陣に追い込まれた夜、江田氏はトップ当選で国政復帰を果たし民主党岡山の顔、そして反自民の顔として再び中心に立つことになりました。
その後は与野党逆転となった参議院で議長を務め、また菅内閣では閣僚を再び経験するなどし今年参院選不出馬を表明しました。

江田氏引退でどうなるのか

岡山では「江田党」と言われる言葉があります。党派に関係なく父からの個人的な支持がある江田氏の事を評した言葉です。
岡山の野党勢力は長年この江田党をいかに取り付けるかが課題でした。しかし江田氏本人の高齢化とともに江田党の動きも鈍くなり近年の国政選挙では自民党の連戦連勝です。
その中で迎える夏の参院選江田氏の後継候補の黒石健太郎氏も自民党公認の小野田きみ氏も岡山県生まれとは言え長年地元を離れていた実質落下傘候補同士の対決となりました。

江田党の最後の意地が勝るのか、全国的な勢いに任せ自民党が最後の壁を崩しきり衆参全選挙区の議席を独占するのか全く予断を許さない戦いが夏まで続く事になります。

江田五月氏のページはこちら 

金田幸

金田幸

30代男岡山県岡山市在住の会社員。大学生時代に議員インターンシップを経験して政治に興味を持つ。某政党の公募に応募するも一次選考不合格の経験あり

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