国は国民を信じ、国民は国を信じる。信頼関係の構築

昔は確かにあったはずなのに、いつのまにか無くなってしまっているものがある。80歳を過ぎた老人と会話をした時に感じた、彼らの世代にはあった日本という国へ対しての信頼が、私たちの世代には無くなってしまっていることに気づき、政府と国民の信頼関係の重要性について考えてみた。

私たちには、「上の人が決めたことに従うだけ」と言い切ることはできない

昨年の後半に、80代の男性と話をする機会があった。
何気ない世間話から始まったが、いろいろと話す内に、話題は戦時中のことになった。

「当時はまだ、中学生だったから、兵隊さんと比べれば、特別な体験はしていない」と男性は謙遜したが、それでも、その時代を実際に生きた人に対して、私が話すことなどなく、もっぱら男性が語ることを、黙って聞いていた。

男性の口からは、いくつも印象に残る話が出たが、なかでも、沢山の帰還兵と会い、話をしたが、みんなが口を揃えて、「なんの為に戦ったのか分からない」と言った。という言葉に、胸を締め付けられた。

「戦争をした意味が分からない」「なんの為に戦ったのか分からない」というのが、その時代の一般市民として、末端の兵士として実際に生きた人の、リアルな感想だというのが、それまでの会話と、男性の表情から汲み取れた。

男性に対して返す言葉を必死に探したが、戦後30年以上経ってから生まれた私が、なにか意見をしたり、慰めの言葉をかけたりすることは、とても虚しい行為のように思われ、口をつぐんでしまった。

タイミングを見て、男性に、「今年は戦争法案なんて呼ばれているものが話題になったが、どう思っているか」と聞いてみると、まったく間を置かずに、「それは偉い人が決めることだから、どうもこうもない。私らは上の人が決めたことに従うだけ」という答えが返ってきた。

70年前の戦争の意味を分からないとしながらも、未だに「上の人が決めたことに従うだけ」とキッパリと言い切るところに、芯の太さを感じ、格好いいなと思ったが、同時に「私たちの世代にはムリなことだ」と思った。

話をした男性の世代には、政治家に対し、天皇に対し、言ってみれば日本という国に対して、信頼しうるなにかがある。

それは単に幼少期に受けた教育の違いかも知れないし、もしかしたら、昔はあったはずの何かが、いつのまにか、私たち心の中、あるいは日本という国から失われてしまったのかも知れない。

なんにしても、我々の世代が、この男性の世代と比べて、国恩に恵まれていないとは到底思えない。
それでも、我々は政治を疑い、この国の先行きに不安を抱きながら生活している。

はたして政治家は私たち国民のことを信頼しているのだろうか

盲目的に政治家を信頼し、楽観的に明日への希望を持つことが良いことだとは思わないが、民主主義の国家において、国民の代表である政治家に対して、これほどまでに信頼感を持てないというのは、問題ではないか。

いや、民主主義に限らず、共産主義だろうが君主制だろうが政体に関係なく、国の舵取りをおこなう人物のことを信頼出来ないというのは大きな問題だ。

私たちの世代が、政治を信じていないということを考えた時に、はたして政治家は私たち国民のことを信頼しているのだろうかという疑問が湧いてきた。

当然、大手を振って「国民のことなんか信用していない」などと発言する政治家はいないが、本音のところはどうなのか気になって、調べる内に、興味深い記事を見つけた。

とかく私たち国民は、政治家に不信感を募らせたり、失望しやすいものだが、立場が変われば、政治家には政治家の事情がある。

今の国民と政治家の関係が良好とは思えない。どこかで関係を改善しなければ、互いに不信感を募らせ、溝はどんどんと広がっていき、いずれ、取り返しのつかないことになってしまうのではないかと恐れてしまう。

「上の人が決めたことに従うだけ」そんなことを、さらりと言ってしまった80代の男性に、羨ましさを感じつつ、我々が信用できる政治がおこなわれれば、政治家にとって我々も、信用出来る国民になりえるだろうな、とそんなことを考える。

中村一

中村一

30代男性。愛媛県在住。長年、飲食関係の仕事に着いているが、文章に携わる仕事がしたいという夢を捨てられずに居る。趣味はバイクで旅行すること。