2016年東京都知事選挙の投票率から選挙で投票する意味を考える

2016年東京都知事選挙の最終投票率は59.73%でした。僕はてっきり3週間前の参議院選の東京都の投票率である57.50%よりも落ちるのではないかと考えていました。それは投票前から結果が見えているから行かないという人が多いと思っていたからです。この結果を受けて、選挙で投票する意味を考えてみました。

立候補者21人で「泡沫候補」に入れる気になる?

今回の都知事選は、立候補者が21人と非常に多く、その中で当選の確率が高いのが知名度の高い小池百合子、自民党・公明党・日本のこころを大切にする党推薦の増田寛也、共闘野党推薦の鳥越俊太郎という3人に絞られたため(またそういった趣旨の報道が多かったため)、その他の候補者は「泡沫候補」と見なされる向きが強かったように思います。

僕も実質3択の中で、一番ベターな選択肢はどれか…といった思考に自然となっていました。しかし「泡沫候補」の中でも、最近の都知事選ではおなじみになりつつあるマック赤坂の得票率は0.78%、得票数は51,056票で、前回2014年の得票率0.31%、得票数15,070票に比べれば大きく伸びています。また、順位でいうと4番目の得票率だったのが上杉隆の2.74%、5番目だったのが桜井誠の1.74%で、どちらも得票数は10万票を超えています。
もちろん結果としては当選した小池百合子は圧勝だったため、「泡沫候補」に集まった投票を2番目の得票率だった増田寛也の得票数に加えても、結果が覆ることはありませんが、僕が気になったのは当選する可能性が極めて低い「泡沫候補」に投票する人たちの心理でした。

都知事選の価値は新しい都知事を選ぶだけじゃない?

ネットを見ていると、「泡沫候補」という言葉は、単に有力な候補者以外を軽視する言葉ではなく、都知事選をエンターテイメントとして面白くしている要素として捉えられていることに気づきました。例えばNHKから国民を守る党所属の立花孝志は「NHKをぶっ壊す!」というキーワードと、「NHKを批判する内容の政見放送がNHKで放送される」という構図の面白さで話題になりました。
逆に無所属の後藤輝樹は政見放送で放送禁止ワードを連発し、音声が修正だらけになったことで話題になりました。そして彼らにも、全体としてみれば僅かとはいえ投票が入っていることが、選挙後にも話題になりました。

これは僕の推測ですが、彼ら「泡沫候補」に投票した人たちは、必ずしも彼らが都知事になることを望んで投票したわけではないのではないでしょうか。そう考える理由は、投票日以前から、小池百合子が当選する確率が非常に高いというムードが広がっていたことです。ネットでは小池百合子の過去の発言から、小池百合子に反対する運動も見られましたが、そういった動きは小池百合子の当選が有力だったからこそ起こるものです。つまり「泡沫候補」に投票した人たちは、小池百合子が当選するとわかった上で「泡沫候補」に投票したのではないかと考えられるのです。では自分が投票した候補者が当選しないと分かっていて投票することにどんな価値があるのでしょうか?

多数決ではなく民主主義としての選挙

そもそも民主主義とは多数決のことではありません。今回の都知事選のように、多くの候補者の中から一人の都知事を選ぶというシチュエーションでは、多数決で勝ったものに権力を与えているように見えてしまいますが、僕は民主主義の本質は人々が意見をぶつけ議論をすることだと考えます。

今回、都知事選の投票日までに都民の間で十分な議論がされたとは言い切れないと思いますが、少なくとも投票率が上がり、「泡沫候補」にもわずかながら票が入っていることはプラスに考えてよいと思っています。それは、自分が住んでいる東京という街にはいろんな考えの人が住んでいるのだな、と投票を見て気づくことが出来るからです。
結果としては小池百合子の圧勝でしたが、その結果に不満を持っている人もいるでしょう。しかしそれがきっかけでまた議論が生まれれば良いのです。

「泡沫候補」と呼ばれる候補者も、話題作りをして議論のきっかけになれば、民主主義の一部の役割を果たしていると言えるでしょう。一票では何も変わらない、とはよく言いますが、確かに当選か否かという結果を左右する力は一票にはほとんどありません。しかし自分の投票は意思の表明であり、その意思の集積である投票結果から、政治の議論が活性化するとしたら、その一票には民主主義を支える一票になるのです。

特集:2016年東京都知事選挙 

丹羽明

丹羽明

20代後半、独身、男。東京在住のフリーター。日本の雇用形態に疑問を持ち、将来について考えているうちに大学を卒業してしまい、就職における切り札である新卒のカードを失う。