障害者差別を考える~法律の施行と社会的課題について

LGBT差別や女性差別をなくそうという運動が盛り上がっていますが、同じように障害者の権利を守ろうという運動も盛んになっています。障害者の権利に関する法律の施行が決定、といった報道を目にした方も多いでしょう。しかし2016年に起きた未曽有の大惨事のように一部では障害者に対する差別意識が残っているのもまた事実です。ここでは日本における障害者差別の歴史、法律や課題を見ていきます。

障害者の法律や制度は明治時代までなかった!?

日本の歴史の中で障害者はどう扱われていたのでしょうか。古代から近世においては経済的な理由などで生まれた時点で間引かれることがあったのは事実です。有名な七福神の「恵比須(蛭子)様」も実は生まれつき足が不自由な障害者であり、幼い頃に船に乗せられて海に流され、行き着いた西宮神社(兵庫県西宮市)で神格化されたという説もあります。

また、現在のような法律の整備とは少しニュアンスが異なるかもしれませんが、江戸時代には幕府が盲目の人のみに許可した高利の金貸し「座頭金」という職業を設置するなど保護という意識はある程度その時代にもありました。琵琶法師や鍼灸師といった職業でも多くの盲人が働いていたとされています。

今日の障害者の権利保護に繋がる本格的な社会福祉が始まったのは明治時代のこと。欧米の先進国を真似て聾学校や盲学校が設立され、「恤救規則(じゅっきゅうきそく)」といった現在の生活保護法のような制度も作られ障害を持った人でも生きられるよう、働けるような精度が整備されていったのです。しかし障害者のための社会福祉が始まったとは言っても明治の時点ではまだまだ法整備も不十分で、差別意識が強かったのも事実です。

かの有名な野口英世も幼い頃にやけどによって手が不自由になり、近所の子供たちからいじめられていたというのも有名なエピソードです。

大戦中も障害者は「国家の足手纏い」と差別

明治、大正、昭和と近代化が進むと今度は障害者保護の方針も変化していきます。人口が増え工業化が進むにしたがって生産性が重視されるようになり、健常者と同じように働けない障害者の立場は危うくなっていったのです。その流れは日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争といった軍国化の中で加速していきました。兵隊になれない障害者は心無い人から「穀潰し」や「国家の足手纏い」などと言われ、差別的な扱いを受けていたのです。

障害を持つ子供の家に軍人が訪れ、猛毒である青酸カリを渡して自殺を勧めたいう事例もありました。しかし、もっと戦況が悪化したら今度は聾学校の生徒や知的障害者を戦争に動員させるなど人権もなにもないような扱いを受けていたこともありました。

当時の価値観では戦争に参加しない人間は非国民という意識があったため、親族が軍関係者に頼み込んで無理やり入隊させてもらったという話も聞かれます。

このように軍国主義だった日本において、障害者は他人の事情に振り回されてきた歴史があります。そして戦争が終わると、この流れは終わるかのように思われていました。しかし戦後に制定された法律が新たな差別の温床となるのです。

戦後施行された優生保護法と、その廃止

大戦が終結した数年後の1948年、「優生保護法」という法案が成立します。優生保護法とは「不良な子孫の出生を防止」することと「母体の健康を守る」ために制定された法律です。この法律の元となった優性思想は優れた子孫の出生を促し、不良な子孫の出生を抑制するという思想です。

つまりこの法律においては障害者や遺伝的疾患を持つ人間を「不良」と差別的にみなして、子孫が生まれないように本人の同意なしで強制不妊手術を受けさせていたのです。中には10代にもなっていない子供もいました。さらに敗戦によって治安維持が難しくなり、経済力の低下が懸念されたため人口増加を抑制する目的で中絶をできるようにしたかったのも法律が制定された背景にあります。

「障害者は自身の意思に関係なく不妊手術を受けさせられる」、これだけを聞くと人権に対する意識が高まっている現代では大昔の話に聞こえますが、実はこの法律は1996年という比較的近い時代まで残っていた法律です。

現在では法改正が行われ、優生学に基づく条項、強制力のある条項が削除されて母体保護法という名前に代わって存続しており、若年での妊娠や健康的に問題がある状態での妊娠など特定の状況下に限って母体を保護するための中絶が許可される法律となっています。

障害者差別解消法と直後の相模原殺傷事件

時代が進むに連れて日本でも障害者の権利を保護しようという機運が高まる中、2016年に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」、通称「障害者差別解消法」が施行されました。この法律は事業者、行政機関などにおいて障害のある人と接する時、不当な差別を禁止し、必要であれば配慮をしなければならないという法律になります。これにより日常生活でも、就職の面でも障害者の人が住みやすい社会になることが期待されました。

しかし法律施行直後、日本の歴史上に残る凄惨な事件が起こってしまいます。障害者差別解消法が施行されて少し経った2016年7月、神奈川県相模原市にある知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に刃物を持った男が侵入し入居者19人を刺殺したという事件が発生します。死者19人は殺人事件としては戦後最悪の数字であり、この未曽有の事件は海外でも多く報道されました。

報道によると犯人は「障害者は不幸を生むことしかできない」と供述していました。元々犯人はこの施設の職員であり、何が彼をそうさせたのかは未だ解明されていない部分もありますが、この犯人の供述に同意するような差別的な意見がSNS上などで見られたことも報道されていました。障害者差別解消法の施行とこの殺傷事件、2016年は多くの人が障害者の権利について考える年になったと言えるでしょう。

なお残る差別 行政の障害者雇用水増し問題

さらに2018年に新たな問題が発覚しています。内閣府を含む多くの省庁、地方公共機関で障害者雇用の水増しが行われていたのです。現在日本では雇用に関して一定の割合の障害者を雇用しなければならない、していなければ障害者雇用納付金を納めねばならないという法律があります。

しかし多くの省庁、機関が障害者手帳を持たない人間までも障害者とカウントし障害者雇用数を水増し申告していたのです。これを受けてSNS上やテレビ、新聞のインタビューなどで「やはり本心では障害者を雇いたくないと思っているのでは?」と差別意識を感じてしまう障害者の方が多く現れました。

中央省庁の意識が問われる事件ですが、その一方で意識だけでなく法制度の改善が必要な段階に来ている可能性もあります。いずれにしても歴史が進むに連れて徐々に法律は整備されていますが、心の奥底に潜む障害者差別意識に関してはまだまだ多くの課題が残っているのが現状です。「障害も一つの個性」として誰もが住みやすい差別のない世の中になるのは一体いつになるのでしょうか。問題を解決するためには一人一人が日常に潜む問題を強く意識し、おかしいと思うことに声を挙げていくことが重要だと言えるでしょう。

障害者が街を歩けば差別に当たる?!: 当事者がつくる差別解消法ガイドライン

政くらべ編集部

政くらべ編集部

2013年に政治家・政党の比較・情報サイト「政くらべ」を開設。現職の国会議員・都道府県知事全員の情報を掲載し、地方議員も合わせて、1000名を超える議員情報を掲載している。選挙時には各政党の公約をわかりやすくまとめるなど、ユーザーが政治や選挙を身近に感じられるようなコンテンツを制作している。編集部発信のコラムでは、政治によって変化する各種制度などを調査し、わかりにくい届け出や手続きの方法などを解説している。