津久井やまゆり園の事件が起きて、障がい者が実名報道されないことや措置入院についてなど、障がい者の権利と社会とのかかわりにおける問題が出てきました。こういった問題に対しては、法律や条約に基づいて対策を考えないと、いろいろな考え方を持った人たちが住みにくい国になってしまいそうです。
希望の「障害者権利条約」
障がい者にとってはあってはならない津久井やまゆり園の事件が起きました。まずは障がい者権利条約から事件を見て欲しいと思います。
障がい者権利条約は2006年に国連が発効して、日本が批准したのが2013年でした。批准までに何故こんなにも時間がかかるのか私は疑問でした。障がい者権利条約は50条からなる条約で凄く長いので、下記ページを参照してください。
課題がある「障がい者差別解消法」
障がい者権利条約を読むと障がい者の権利や、差別の禁止が事細かに書いてあり、国内法の整備に時間がかかったために、批准まで時間がかかったことは納得出来ました。
法の順位を優先される方から書くと、憲法、条約、法律、条例があり、障がい者権利条約に基づいて施行されたのが「障がい者差別解消法」です。原案では「障がい者差別禁止法」でした。理念も中身も「障がい者権利条約」とは離れましたが、ともかくも法律は出来ました。
「障がい者差別解消法」が「障がい者権利条約」のどこを元に作られた法律かというと、「障がい者権利条約」の第二条の一部に「障がいに基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む」とあります。これまでの法律では合理的配慮をしないことが差別にならなかったのです。合理的配慮が社会の義務ではなく努力義務とされていることは、不充分ではありますが、法律に「合理的配慮」が明記されたことは大きいです。
また、「障がい者権利条約」第十九条の「自立した生活及び地域社会への包容」には障がい者が地域で暮らすための支援について、事細かく書かれており、これに基づいて出来た法律が「障がい者総合支援法」です。ほかにもいろいろな法律が整備され、「障がい者権利条約」が批准できるような国に表向きにはなりました。しかし「障がい者差別解消法」もそのままでは形だけの法律になってしまいます。全国各地の障がい者が「差別解消法」に基づいた条例をつくったり、「差別解消法」の見直しにつなげていく活動を行っています。「障がい者総合支援法」で地域でどんな障がいがあっても暮らせるかと言うとまだまだですが、これからに期待しましょう。
匿名報道のあり方
津久井やまゆり園の事件に話を戻すと、この事件では障がい者19人が亡くなっています。家族が全員匿名を希望したとは考えにくいのです。障がい者が亡くなっても「41歳、男性」とだけしか報道されず、まるで少年犯罪者のような扱いです。普通の人が大きな事故や事件で亡くなるとその人の人生を知ることが出来ますが、障がい者の人生はみなさんが知れば、感銘を受けることもあるでしょう。それなのに報道されないのです。
いくら「障がい者権利条約」や「障がい者差別解消法」があっても社会が障がい者を認めなかったら同じです。なぜ津久井やまゆり園が山奥にあるかというと、昔は障がい者差別が激しくて、街中には施設は建てることが出来なかったからです。
最近でも、グループホームを街中に建てようとすると住民から反対されて建設出来なかった話を耳にします。昔は座敷牢に閉じ込めて障がい者は世の中に出ることが出来ませんでした。これがわずか半世紀前の出来事です。それから障がい者の社会参加が言われるようになり、さまざまな法律も出来、共生社会とかノーマライゼーション社会とか言われています。
しかし、事件後の対応を見るとセキュリティの強化策が話し合われているだけです。「障がい者権利条約」に書かれている、障がい者は住む地域を限定されないこと、つまり施設以外で暮らす権利があることを社会に理解してもらうチャンスにも関わらず、です。今の政権は障がい者が地域で暮らすという発想がありません。社会の障がい者に対する考え方は昔とさほど変わってないと感じました。
措置入院について
措置入院についてですが、「障がい者権利条約」や「障がい者差別解消法」では違反に近いものです。これから措置入院の是非が議論されると思いますが、あのような事件が起きると世論も感情的になり、少しでも危険性があれば措置入院させてしまえと考えてしまいがちです。その危険性は誰が決められるのでしょうか?少し変わったことを言っただけでも措置入院させられてしまう恐れがあり、とても怖いです。
事件によって精神障がい者の措置入院や強制入院が増えることはあってはならないことです。ですが最近、世論に流される政治家が多いので、今回の事件に対して何らかの対策は要りますが、法律や条約に基づいて対策を考えないとさまざまな考え方を持った人たちが住みにくい国になってしまいそうです。