政治家の実績の自己アピールについて

とある団体の標語的言葉に、人の悪を言わず己の善を語らない、というのがあります。なかなかいい言葉だなと思っています。

政治家は基本的に有権者の皆様に3つのことをバランスよく伝えるのが望ましいと思います。1つは何をやるか、という夢とかビジョンという「未来」。1つは、今何をやっててどうなっているのか、という解説、つまり「現在」。1つは、何をやったか、という実績、つまり「過去」。私は後者はほとんどしません。親父からの遺伝ですかね。バランスが悪い。先日、なぜオマエはやったことを言わないのかね、言わないと評価できないだろう、という趣旨の指摘を頂きましたので、この際、私がなぜ、自己の実績のアピールをあまりしないのか、について、私なりの人生哲学を書いてみる気になりました。

人間、本気で何かを成し遂げた者は、自分から何かを成し遂げたと言わないものだと思っているからです。なぜならば、その何かを本気で成し遂げる努力をすれば、その過程で少なくとも数名の、場合によっては何百人の、多くの人々が支えているのが見えるわけであって、そういう陽の当たらない人たちの涙と汗を蔑ろにして、私がやりました、とは言いたくないからです。一言で言えば、敢えて遅れたるに非ず、馬進まざればなり、ということでしょうか。

一方で、そういう影の努力を結果だけかっさらっていく政治家もいます。ヨコドリです。何らかの結果がでたときに、実は何もしていないか電話一本したとかだけで、私がやりました、と堂々と大勢を前に主張すれば、敢えて否定する人もいないし、人は信じてしまうものです。例えば、この地元のこの予算は私がとりました、などです。扇動も同じ心理なのだと思いますしメディアが典型的ですが、堂々と何百万の人に言えば、嘘ではないだろうとみんなが思うという心理です。政治家もメディアほどではありませんが、大勢に堂々と主張することによって、信じさせる力はもってしまうものです。

実績アピールに腐心して、自らを浮かばせようとするのは、政治家にとって必要な能力なのだと思いますが、私は違うと思っています。かつて作家の塩野七生さんは、為政者たるもの、自分の魂を悪魔に売ってでも国民を天国に送り届けるだけの気概が必要だ、と喝破しました。国民の魂を悪魔に売って(だまして)自分を天国に送り届けようとする(当選する)のは、為政者の態度としては好ましいとは思いません。

そういうことに腐心するよりも、誰がやったのでもいいから、結果がでて地域や国民のためになればいいではないか、と私は思っています。だから、私がやりました、的な主張を見ると、いらっとするのです。かと言って、そんな偉そうなことを言えるほど、何かを私は成し遂げたわけではありませんが・・・。

出典:大野敬太郎オフィシャルサイト「オピニオン」【2018年10月5日公開】

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コラム:先憂後楽

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