道徳教科化が2018年度スタート、国の価値観押しつけは必要ない

道徳教育が始まって60年の節目となる2018年度、道徳が小学校で特別の教科になります。翌2019年度からは中学校でも教科化されます。

しかし、2017年3月の小学校教科書検定でパン屋が和菓子屋に変わるなど、国が教育内容に深く関与しようとする姿勢が明らかになりました。「考える道徳」を打ち出しながら、国は何を考えているのでしょうか。

教科化で国定教科書と評価を新たに導入

小中学校では現在、「道徳の時間」が週に1時間設けられています。

位置づけは個別の教科ではなく、教科外活動。教材は検定を受けない副読本や教員が独自に作った資料などが用いられ、国の関与を受けません。

小中学校の道徳の時間は1958年にスタートしましたが、何度も論争を重ねながら、この位置づけを崩しませんでした。

戦前の日本は「親孝行」から「忠君愛国」までを説く教育勅語に基づく修身科の道徳教育が進められていました。それが戦争への道をひた走る一因となったことを深く反省したからです。

しかし、特別の教科になれば、現在と異なり、教科書と評価が導入されます。

教科書は文部科学大臣の検定を通過したものを使用し、学習結果を教員が記述式で評価します。

しかも、子どもたちが学ぶ内容は、国が学習指導要領で定めるのです。

国が授業内容に二重三重に関与することになります。3月の検定ではパン屋のほか、アスレチック公園が和楽器店、消防団員のおじさんがおじいさんに変わりました。この改変に大きな意味は感じられません。

そこに見えるのは、価値観の押しつけといえるほど国が強く教育内容に関与しようとしていることです。

国の統制強化の裏側に見える別の思惑

なぜ教科化が必要なのかについて、文部科学省はいじめの多発など子どもたちの心の問題を挙げています。確かに、学校現場のいじめは後を絶ちません。

大人の社会では、モラルの欠如が生んだといえる事件や騒動が相次ぎ、拝金主義が横行しています。道徳教育のあり方を考える時期に来ているのは確かでしょう。

教育基本法が第1次安倍政権の2006年に改正され、公共の精神や国、郷土を愛する態度の育成が強調されたことも背景にあります。

しかし、道徳教育に評価を持ち込むことで国の統制が強くなるでしょう。パン屋やアスレチック公園というささいなことまで国が口出しする点には、別の思惑が感じられます。

企業倫理の低下や社会格差の拡大、政治倫理の低下など大きな不正義から国民の目をそらせ、すべてを個人の問題に帰結させようとしているのかもしれません。

さらに、国の行政組織を頂点とする今の体制に従順な国民を育てようとしているようにも見えます。マスコミの中には、社会が右傾化する中で戦前回帰の姿勢がうかがえると指摘する声もあります。

戦前のすべてが悪だったと主張するつもりはありませんが、行き過ぎた愛国教育が悲惨な戦争を招いたことは歴史が証明しています。

いたずらに近隣国の不安をあおり、東アジアの不安定な状況を長期化させることにもなりかねません。

教育現場に任す傾向が強い欧米の道徳教育

海外の道徳教育はどうなっているのでしょうか。

文科省がまとめた資料によると、米国や英国に検定教科書はありません。ドイツは各州が検定を実施していますが、教科書の使用義務を教員や学校に課していません。

教育内容に関して米国は学校の裁量で定めています。

ドイツは各州策定の指導要領など、英国は国のカリキュラムに基づき、進められていますが、方法は学校の裁量に任されています。教科の名称も米国やドイツでは各州によって異なります。評価はドイツが数値で下していますが、米国は数値による評価がありません。欧米諸国は国がそれほど深く関与することなく、学校や現場の教員に任す傾向が強いことは間違いないようです。

これに対し、隣の韓国は国が定める教育課程で目標や内容を定めたうえ、小学校は国定教科書、中学校以降は検定教科書を利用しています。

評価は小学校が記述式、中学校以降になると数値評価も加わります。今の政府が目指す方向に割と近いように見えます。

本来求められるのは学習課題を自由に考える機会

21世紀は地域社会の中で急速にグローバル化と情報化が進んでいます。子どもたちに求められることの1つが多文化共生です。さらに、自然との共生も20世紀末から継続する大きな課題になっています。

ペッピーキッズクラブ

リズム感をベースに手の動きや指を使って発音のイメージを覚えたり、舌の動かし方を身に付ける発音習得方法が特徴的。全国1300教室、9万人の子どもたちが楽しく通う教室。

最初から決められた道徳的価値に基づき、全国画一の基準で授業する必要があるのでしょうか。

文科省は「考える道徳への転換」を打ち出していますが、考えるべき価値があらかじめ決められているのは大きな矛盾だと感じます。

中央教育審議会の答申も読み物教材の登場人物の心情理解に偏った授業の改善を求め、主題となる道徳的価値を子どもが自分とのかかわりの中で考えるよう指導を求めました。

教材を読む道徳から児童、生徒の話し合いや討論を重視する道徳への転換を打ち出したわけです。

国が価値観を押しつけるのではなく、日常生活や授業で学習課題が誕生したときに子どもたちがどう考え、ふるまうべきなのかを自由に考える機会があればいいのではないでしょうか。

国を愛する気持ちを育てるとしても、国の価値観押しつけは必要ありません。

高田泰

高田泰

50代男。徳島県在住。地方紙記者、編集委員を経て現在、フリーライター。ウェブニュースサイトで連載記事を執筆中。地方自治や地方創生に関心あり。