少子高齢化というのは非常に難しい問題です。何だか最近では変な方向に舵を取りつつあるので改めて考えてみましょう。世間で言われているような解決法は果たして本当に解決方法と言えるのでしょうか。今だからこそ政府に注力して欲しい分野があります。
ずれてしまった少子高齢化の論点
解決する方法があるならとっくにやっとるわ!という怒声も聞こえてきそうなものです。
最近ではある議員が育児休暇取得を勧めて話題になりました(まあその青年議員の素行に問題があり辞職することになりましたが…)。また、あるお母さんの「保育園落ちた日本死ね!」という叫びが国会で取り上げられたりもしました。
日本では現在、少子高齢化においていくつかの論点があります。
- ・男性の育児休暇の取得による子育てしやすい環境作り
- ・保育園を増加させ女性も働ける環境を作れば収入面が安定する
おおむねこの2点が挙げられています。ですがこれって本当に少子高齢化を解決するんでしょうか。
まず育児休暇を男性が取得して子育てに協力するとします。もうこれ子供がいる家庭を想定していますよね。
百歩譲って未婚の女性の視点に立ってみても「男性も育児休暇とってくれるんだ!じゃあ産も!」って、なりますか。
次に保育園ですが、これも子供を産んだ後の話ですね。あと保育園を作ることで子供がバンバン預けられることになりますが、それってどうなんでしょうか。
それと女性も働かないと収入が本当にギリギリのギリという家庭は少ないようにも思えます。まずは住んでいる自治体の実施している助成金・補助金・手当金といったものを調べることから始めると良いでしょう、意外とどうにかなるかもしれません。
実際のところ、どうも経済的な困窮が原因とも言い切れないようです。総務省統計局が公表している平成24年度の就業構造基本調査の48頁を見ると、夫の収入額と妻の就業率の相関が分かります。
夫の年収が1000万円を超えていても52%程度の女性は働いているようですし、おおむね60%~65%で横ばいになっているので特別困窮しているから働いているというようには見えません。
こうして見るとこの2点は少子高齢化に対する観点としては不適当です。女性の支持を集めたい政治家のアピール材料として利用されているだけなのです。
教育こそ投資すべき価値のあるもの
少子高齢化がなぜ問題かというと、国を運営する金が無くなるからです。国の運営資金が潤沢にあれば国民は1人でも1000兆人でも何でもいいのです。
少子高齢化というのはお金の問題以外の何物でもありません。だからといって金を中心にして国民を見ると子供や老人が不要だのといった下らない話になります。
こういうときには未確定の収支への投資をするべきです。それは何より教育への投資に他ありません。
子供には無限の可能性があると言いますが、それは大人であっても同じです。学習を続けることで何が可能になるかは誰も分かりません。
知識だけではなく、より生産的で協力的な国民性を養うことこそ国が目指すべきものなのです。上手くいけばもっと平和で活力のある良い国になるでしょう。
こうした目に見えない不確定な利益に対して余りにも国は疎かにしてしまいました。(ただ研究開発費は世界3位というアンバランスな点も気になるところです。)
OECD加盟国において日本は教育に対する私費負担が高く、さらに教師の負担も強い国となっているので、しっかりとした教育環境の整備が必要です。
参照:図表でみる教育 2015年版
参照:ウィキペディア 各国の研究開発費一覧
まずは思考法を身につけるためにも哲学を義務教育に取り入れると良いでしょう。最低限「自省、反省」という思考法さえ知ればより良い国になるはずです。
やがて技術力が上昇し画期的な製品が作られるようになるかもしれません。人文科学、特に心理学が発達すればあらゆる組織の効率が良くなるかもしれません。
学問は金だけでなくあらゆる国の状況を改善改良できる可能性が残されているのです。
今だからこそ教育に注力すべき
こうした少子高齢化の問題というのは先進国の孕んでいる問題の1つです。世界の国において出生率はアフリカの国々が独占していますし、先進国は概ね下位にあります。
参照:合計特殊出生率ランキング、国別順位 – WHO世界保健統計2013年版
先進国は功利主義により発展を遂げてきましたが、今はその価値観を転換する節目です。
高齢者が多くなり子供の数が減少した今だからこそ教育に力を入れる必要があります。もしこれから産まれてくる子供が金を中心として世界を見るなら、その目の前には恐ろしい光景が広がることでしょう。
政治に期待するのは何より教育への注力です。