安倍政権が打ち上げた政府機関の地方移転が、怪しい雲行きとなってきました。移転の検討対象は当初の69機関から34機関に半減、今も官僚は東京を離れまいと激しい抵抗を続けています。本当に移転は実現できるのでしょうか。
移転の検討対象が半減
政府機関の移転は東京一極集中を解消する目的でスタートしました。政府のまち・ひと・しごと・創生本部によると、移転要望を出したのは、対象外の首都圏1都3県と鹿児島県を除く42道府県。このうち、中央省庁は総務省統計局、文化庁、観光庁、消費者庁、中小企業庁、特許庁、気象庁が含まれています。
政府の絞り込み作業は中央省庁を除く独立行政法人や研究研修施設などから始まりましたが、官僚側から強い反対の声が続出、昨年末に検討対象が69機関から34機関に減りました。
政府は「移転のメリットが見えない」、「関係機関との調整が困難になる」などと絞り込み理由を説明していますが、事実上官僚の抵抗に敗れた形です。
国立社会保障・人口問題研究所など5機関の移転要望を出していた群馬県など8県は、要望が全て却下され、各県議会などで省庁の本気度を批判する声が上がりました。
鳥取県の平井伸治知事は統計センター集計業務が検討対象から外れたことに記者会見で不満を打ち明けています。
焦点は文化庁と消費者庁
年が明け、移転の本丸ともいえる中小省庁など34機関の検討が始まりましたが、急浮上してきたのが文化庁の京都府、消費者庁の徳島県移転です。政府としては政権のメンツにかけても中央省庁の移転を実現させようと、両庁をその目玉候補に掲げたわけです。
しかし、1月末にあった両庁と京都府、徳島県の話し合いでは、「関係省庁間の連絡が不十分になる」、「国会対応ができない」などと消極的な声が両庁から出たもようです。
消費者庁と関係が深い消費者団体も反対集会を開くなど、官僚側の意向に沿うような活動を続けています。このため、妥協案として文化庁は長官と文化財保護部門だけ、消費者庁は一部業務の移転にとどめることが水面下で浮上しているといわれています。これでは何のための移転なのか、さっぱり分かりません。
竹下内閣時代も官僚の抵抗で失敗
これと同じような事態が竹下内閣時代の1980年代にも起きました。このときも地方の活性化を唱えて政府機関の移転に手をつけ、約70の機関が東京を離れましたが、官僚の抵抗を受け、大半が埼玉県や神奈川県へ移っています。
首都圏を離れたのはわずかに3機関。官僚の抵抗を抑えきれなかった政権側の痛い敗北だったわけです。これまでの経過は当時とほとんどそっくりです。
特に文化庁と消費者庁を除く中央省庁は取りつく島もないほど移転反対で徹底しているようですが、どうして官僚は東京を離れるのを嫌がるのでしょうか。
移転が検討されている庁は警察庁や宮内庁と異なり、外局と呼ばれて省内に設置されています。庁のトップの長官は省内ナンバー2として省出身者がつくことが多く、退官するときは東京でキャリアを終えたいと考えているのです。外局の所在地が地方だと格落ちになると考える官僚が多いからです。退官後の天下りにも響くという声もあります。
これに対し、文化庁と消費者庁はこれまで、長官に外部の人材をしばしば登用してきました。このため、政府が移転させやすいと考え、目玉候補にしたともいわれています。
形だけの移転で開かれぬ展望
ただ、こうした形だけの移転が実現しても、地方に明るい未来が開けるものではないでしょう。経済波及効果は微々たるものです。
さらに、政府のやる気自体が疑われ、地方創生の実現にも暗い影を落とすことになるでしょう。
地方自治体も政府機関の移転で現在の苦境を一発逆転しようという甘い考えは捨て去るべきです。地方創生は自分たちで継続的に地元へ金が落ちる事業を考え、官民が一緒になって力を合わさなければ実現できません。
地方は今、人口減少と高齢化社会の進行という大きな波に飲み込まれようとしています。政府機関の移転などに一喜一憂せず地道な努力を続ける覚悟が必要とされているのではないでしょうか。