部活は本当に必要なのか、教育の質や教員の待遇面から考える

部活で様々なことを学んだ人も多くいますが、教員に対する負担の大きさが問題視されるようになっています。
部活動の事故などが様々なメディアで報道されていますが、教員への負担が事故を招いている可能性を指摘する人もいます。教育の中に部活動がどれだけ必要なのか、見直す必要が出てきているのです。

部活動はそもそも必要なのか

私の子供のころは小中高と部活を行うのが必須であり、拒否権すらない状態でした。
現在でも必ず部活に所属しなければいけない場合も存在し、明確な規則がなくても入らなければいけないと言う空気が強い学校もあります。
確かに集団で活動する部活動は実りが多い場合もあり、存在自体を否定できるものではありません。しかし、必ず必要とは思えないのです。

例えば、勉強が遅れている人に関しては部活動よりも勉強を優先しても良いはずです。
私の場合はその選ぶと言う選択肢すらない場合も多く、なぜ強制されるのかがわからなかったのが本音です。
運動があまり得意ではないのに、運動系の部活への所属を強制されたこともあり、学校行くこと自体が嫌になり、学校自体から足が遠のいた時期もあります。様々な働き方や考え方が肯定されるようになってきた現代だからこそ、まずは画一的な考え方から見直した方が良いと思うのです。

授業の後に部活で夜まで拘束される教員たち

部活は生徒だけでなく、教員にとっても負担になります。
もちろん、好きで部活の顧問をしている人もいる一方で、土日祝日問わずに出勤しなければいけない人もいます。そうでなければコンクールや各種大会で好成績を収められない可能性があるからです。
一方で、その休日出勤の手当は出ないことも多く、大きな問題になっています。
日常的に授業が終わった後に遅くまで部活の顧問をして帰宅する人もいます。この場合もあくまで残業手当は出ないケースがほとんどなのです。
法律上はあくまで部活の顧問は教員の善意で支えられていると言うスタンスであり、強制は出来ないものとなっています。
しかし、実態は生徒が全て部活に所属する学校は何かしらの部活の顧問をしなければならないケースがほとんどで、強制的に決まってしまうことも多いのです。
そのため、若手の教師を中心として部活動顧問になるかならないか、選択権を巡った署名活動なども行われており、大きな話題となりました。

世界ワースト1位の労働時間

日本の教員の労働時間は世界ワースト1位で、残業代や休日出勤の手当もつかないなど労働環境としての劣悪さが指摘されています。
あまりにも労働時間が多いため、なり手が少ないことにも納得できてしまいます。その労働時間に見合ったものがなければ教員になりたいと言う人はますます減ってくる恐れすらあります。
少子化と合わせて教育を担う人材が減ってしまうのは日本にとって大きな痛手でもあります。

また、部活中の事故の確率も上がってしまう可能性があります。
元々部活動の事故としてあったものが情報の拡散のスピードが速くなったために表に出やすくなっているだけでなく、疲労が原因で注意力が散漫になり、それだけ監督能力が下がってくる可能性もあるからです。
今までが大丈夫だったからではなく、これからをどうするかを考えて見直すべき時期が来ているのかもしれないのです。

大切な子供のことだからこそ、議論が大切になる

部活顧問の選択制について議論が巻き起こり、様々な考え方が活発に話されるようになっています。
顧問の選択制について集めれた署名に大臣が言及するなど、表に出る情報も増えつつあるのです。
そもそもが善意を前提とした部活であれば、ボランティアと変わりがありません。そうであれば必ず教師が面倒を見る必要があるともいえず、また別な形で取り組むことも可能なはずです。
地域の人の力を借りることや、学校以外の人の力を借りることなど、労力の分散なども可能なはずです。
もちろん、大きな変革を伴うため、様々な弊害や問題も想定されます。しかし、どんな問題を比較しても、教員にだけこの問題を押し付けてよいのかという根本的な解決にはならないのです。

部活動が熱心すぎて、迎えや様々な費用の工面に苦労している保護者もいます。根本解決を図るには教育現場の声だけでは難しく、日本全体の問題、政治の問題として取り上げることや、政党や候補者を決める要素として組み込むことも重要といえます。
日本の未来のためにも今ある当たり前がどうやってできているのかを、部活という一つの視点から見るのも大切なことといえます。

佐藤白玉

佐藤白玉

30代の男性フリーライター。宮城県在住。男女の恋愛だけでなく、人口と経済原理、マイノリティの権利等について日々考えています。

次の選挙での重要な争点は?(3つまで)

結果を見る

Loading ... Loading ...