米軍普天間基地の移設予定先である辺野古の埋め立て問題とは

2018年12月14日、政府は米軍普天間基地の移設予定先である辺野古の海を埋め立てるために土砂の投入を開始しました。工事を進める政府に対し、辺野古移設反対派はホワイトハウスの請願サイトでインターネット署名を集め、12月18日に署名は10万筆を超えました。

この辺野古埋め立て反対のインターネット署名に、モデルでタレントのローラさんが、署名を呼びかけたことで、議論が巻き起こったことは記憶に新しいところです。

しかし、辺野古埋め立て問題が実際どのような問題なのかよく分かっていないという人は多いのではないでしょうか。辺野古のへの移設を進めたい安倍政権と、それを撤回させたい沖縄県知事や争点になることが多い沖縄知事選など辺野古の埋め立て問題について分かりやすく解説します。

なぜ辺野古に埋め立てが必要か~基地移設問題~

現在のような米軍基地の返還・閉鎖を訴える運動が本格的に始まったのは1995年に米兵による12歳の女子小学生を拉致・集団強姦したいわゆる沖縄米兵少女暴行事件からです。

日米地位協定によって起訴されるまで実行犯である3人が引き渡されなかったことが大きな問題となり、県民の反基地・反米感情が高まったのです。この反基地運動が高まったことにより1996年に日米両政府が沖縄の基地削減、普天間飛行場の返還などを合意しました。

しかし、この合意には代わりの基地を沖縄県内に建設するという条件がついていたのです。そこでキャンプ・シュワブがある辺野古地区の海上を埋め立て、海上基地を建設する案が浮上しました。1999年に政府は辺野古移設を閣議決定(小渕内閣)したのです。

その後、2009年の衆議院議員選挙で、民主党の鳩山代表がいわゆる「最低でも県外」発言をしました。この発言で沖縄県民の県外移転への期待が高まり、基地反対派の候補者が各選挙で躍進を遂げているのです。

全国でも衆院選挙は民主党が大勝し、政権交代が実現。鳩山由紀夫首相が誕生しました。しかし、鳩山首相の「最低でも県外」発言を実現させるのは既に完成したロードマップを覆すもので、新たな移設候補地なども無いことから、2010年に民主党政権は県外移設を断念します。

2012年に自民党が政権与党に復帰すると、辺野古移設計画が再び動き始めます。その後、沖縄県知事となった翁長雄志知事(当時)が、仲井真弘多前知事が承認した辺野古の埋め立て工事の承認撤回を行います。

辺野古移設反対を掲げて当選した翁長知事は、沖縄の民意を大義名分とし、政府の辺野古移設の方針と対立。沖縄県と政府の対立が泥沼の状態のなか、翁長知事が亡くなります。翁長氏の遺志を受け継ぎ、2018年9月の沖縄県知事選挙では玉城デニー氏が当選します。

2019年2月24日には、名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋立てに対し、県民の意思を的確に反映させることを目的として、沖縄県で県民投票を実施される予定です。

辺野古の埋め立てはもう始まっていた!現在の進捗状況

2012年に第二次安倍政権が発足し、安倍政権としては普天間飛行場の辺野古移設を進めることを公約として大勝し、2013年の参議院選挙でも大勝しました。

選挙後に自民党内の移設反対派や慎重派を封じ、安倍総理は仲井真知事(当時)と会談し基地負担軽減策を提示。仲井真知事もこれを評価し、名護市辺野古沖の埋め立て申請を承認しました。2014年にはオバマ大統領とも会談し、移設工事を進める旨を改めて伝えています。

辺野古の埋め立てに関しては、2018年12月14日の土砂投入が埋立工事の開始だと思っている人もいるかもしれませんが、実際には埋め立てはもう始まっていました。

2015年には翁長知事(当時)の埋め立て承認撤回などもあり裁判の関係で工事が中断している時期もありましたが、承認の取消し処分を撤回しないのは「違法」であるという判決が出るなど国の主張を全面的に認めるもので、2017年の4月に埋め立て海域を囲うための外枠を作るための護岸工事なども始まっています。

埋め立て工事に関しても、2018年7月に開始予定がヒメサンゴの保護シートの準備が贈れたため8月にずれ込んだものの行われているのです。

承認?撤回?政府と沖縄県が続ける攻防

辺野古の埋め立てなど普天間基地の辺野古移設における政府と沖縄県の攻防ですが、政府としては米軍基地を減らすと同時に世界一危険な飛行場と言われている普天間飛行場からの早急な移設を目指しています。

1998年の名護市長選で当選した岸本市長は移設受け入れを表明していますし、仲井真弘多知事は辺野古沿岸部の埋め立てを承認しているのです。

沖縄県の基地反対派が大きく動いたのは2014年に新基地の建設阻止を掲げるオール沖縄が推薦したの翁長雄志氏が、辺野古埋め立てを承認した仲井真氏を破って沖縄県知事に就いたことからです。

翁長氏は元々保守派で、辺野古への移設容認派であったにも関わらず考えを翻し移設反対へと考えを改めました。辺野古移設問題では、賛成派が保守、反対派がリベラルという構図を描いてしまいがちですが、必ずしもそうとは限りません。

翁長知事は「あらゆる手法を使って辺野古新基地建設を阻止する」と強硬路線を進めます。翁長知事が行ったのは埋め立て承認の取り消しで、これによって国と県は裁判を行いました。

福岡高等裁判所那覇支部が下した判決は「外交・国防政策について国の説明が具体的な点で不合理が認められない限り尊重するもの」として翁長知事の違法という判決が下され、上告した最高裁判所においても国が勝訴しています。

沖縄県知事選挙で示され続ける沖縄県の民意

辺野古の埋め立てや移設に関して、法的に関しては国側が勝訴しているので問題はありませんが、実際に米軍基地のある沖縄県民の民意に関しては非常に複雑なものとなっています。仲井真氏は移設容認派であるというイメージが強く持たれていますが、日米合意の見直しと基地の県外移設を公約として2期目は当選しています。

仲井真氏の次に沖縄県知事となったのが翁長氏で、沖縄県議時代は普天間米軍基地の辺野古移設を推進していたにも関わらず、知事選出馬が噂され始めた頃から移設反対派に転身し当選しました。

翁長氏が膵臓がんで在任中に死去した後に行われた沖縄県知事選挙では、自由党の国会議員だった玉城デニー氏が故・翁長知事の遺志を受け継ぐ形で立候補し、辺野古移設反対を掲げ当選しています。

このように、沖縄県知事選挙においてはここ数回辺野古への移設反対派、県外移設派といった国の方針とは異なる候補者が当選しています。したがって、沖縄県民の民意は移設反対派ということになりそうですが、移設先である名護市長選などにおいて、いわゆるオール沖縄が推薦する移設反対派が移設容認派に敗れるなど沖縄県民の間でも揺れている状況です。

2019年2月24日に実施される県民投票に関しても、2018年12月時点で、普天間飛行場のある宜野湾市や宮古島市が投開票事務に協力しない方針を表明しています。

日本全体で沖縄の基地負担問題を考える時に

名護市辺野古の埋め立て工事が進まないということは、宜野湾市のアメリカ海兵隊普天間飛行場の移設が進まないということを意味します。必然的に名護市の民意と宜野湾市の民意は異なります。

普天間飛行場を移設するという点では沖縄県民の民意は揺るがないものの、どこへ移すかという着地点が、「辺野古以外にない」「辺野古以外で検討すべき」という点で大きく割れているのです。

沖縄県は在日アメリカ軍基地の75%が集中しているというデータがありますが、これは面積ベースの話で、施設数で見ると25%となります。だから辺野古でよいというわけではなく、沖縄に米軍基地が多数あるのは変わりなく、騒音や米兵による事件などの問題があるのも事実です。

日本は憲法9条により軍隊を所持していません。現在の国際情勢や東アジアの状況を考えても、日米安保条約を破棄して米軍に出ていってもらうということは現実的ではありません。

では、9条を改正して自衛隊を軍隊とすればよいのでしょうか? 日本の防衛力を高めれば、米軍基地は減らせるのでしょうか? 防衛拠点として、普天間飛行場の代替地は沖縄県でなければならないのでしょうか? 日米地位協定の見直しは検討できないのでしょうか?

辺野古埋め立てなどの問題は沖縄県だけの問題ではなく、日本全体の問題であることは間違いありません。私たちは沖縄県の問題を「基地問題」ではなく、国防も含めた、「国家の方針と民意」の問題として、自分事として考えていく必要があるのかもしれません。

『沖縄と本土』いま、立ち止まって考える 辺野古移設・日米安保・民主主義

政くらべ編集部

政くらべ編集部

2013年に政治家・政党の比較・情報サイト「政くらべ」を開設。現職の国会議員・都道府県知事全員の情報を掲載し、地方議員も合わせて、1000名を超える議員情報を掲載している。選挙時には各政党の公約をわかりやすくまとめるなど、ユーザーが政治や選挙を身近に感じられるようなコンテンツを制作している。編集部発信のコラムでは、政治によって変化する各種制度などを調査し、わかりにくい届け出や手続きの方法などを解説している。