男女差別の野次だけでなく、同性愛者の差別発言や野次の責任が社会的に追及されるようになってきています。しかし、日本の同性婚の現状は先進的とは言い難く、課題も多いものになっています。なぜそういった文化が生まれたのかも含めて考察を行います。
そもそも近代的な思想は明治以降から
戦国時代は同性愛が比較的普通であったことを知っている人はどれだけいるでしょうか。衆道の名でも知られるように、江戸時代には武家において男色趣味は当たり前にあるものであり、男性相手に性を売る高級男娼も存在しました。
一方、一部で男性を巡った男同士の刃傷沙汰が起きるなど問題もあったため、一部では厳しく取り締まられるなど様々な地域柄、時代の影響を受けてきました。
そういった時代の流れが大きく変わったのが明治以降です。
富国強兵の名のもとに合理性のないものを排除し、より生産性の高いものを奨励する文化が生まれ始めました。その根底には、欧米列強に大きく国力が劣ると言う日本人のコンプレックスも影を落としていました。
今の形の結婚式が生まれたのも明治に入ってから
実は日本に神前であげる結婚式が生まれたのは明治に入ってからです。それ以前は身内や知り合いを集めての人前式が通常であり、神前で誓う結婚式は極めて少なかったのです。
この結婚式の形も、明治に入ってから一夫一婦性を制度化しようと言う政治的な意図があっての物でした。神前式が一気に広まったのが後の大正天皇と貞明皇后が結婚の儀を行ってからです。これ以降、神前で上げる結婚式がより身近で一般的になっていきました。
また戸籍制度や法律の制定などが進められ、社会が一気に近代化していくのです。
一方で、有権者はごく一部の高額納税者などに限られるなど、全ての国民の声が反映されているとはいいがたい状態でした。
そうやって限られた人の手の中で作られてきた法律や文化の土壌が、性的なマイノリティを排他していくことに気付いている人は少なかったのです。と言うよりも、性的なマイノリティを認識している人が少ない状態でした。
戦後から現代への転換
明治から第二次大戦、戦後の復興と激動の時代を経て、性的マイノリティの立場はあまり良くなったとは言えない状態です。未だに偏見を持つ人が多く、実態を理解していない人も多いのです。
また、マイノリティであることを口にする事自体が社会的な悪影響を及ぼす可能性がある事から、本人たちも進んで声をあげる事が難しかったと言う事実もあります。
事態が大きく変わったのが、人権や心の権利に注目が集まり、マイノリティにも目が向けられるようになったことです。その結果先進国を中心に性的なマイノリティの研究が進み、男性が男性を愛することや、女性が女性を愛することは病気とは言えないことがわかりました。
先天的な理由や経験や学習の結果かはいまだに不明な部分もありますが、世界人口の3%~5%は性的なマイノリティであると言う研究結果もあります。
学校で30人規模のクラスで勉強した人も多いはずですが、クラスに1人は性的なマイノリティがいる計算になるのです。
同性婚は権利の問題
ここで問題になるのが、同性婚は違法か合法かです。実際には同性婚を違法とする法律は無く、合憲と認められる仕組みも無い状態です。
ただし、日本国憲法が基本的な人権を保障するものであれば、同性婚は基本的な人権の範疇に含まれる正当な行為であり、認めないと言う事は違憲と言える状態でもあります。
結婚は資産や権利などの法的な保護も含む制度であり、同性愛だからそれを受け付けないと言うのは本来であればおかしいのです。
また、同性婚を認めると人口減少につながると言う意見も良く耳にしますが、同性愛者は同性婚を認めなかったからと言って異性愛者としては生きられないのです。
愛する性別を偽れないから性的マイノリティと言え、それは強制できるものではないのです。
また、実際に同性婚を認めた結果、人口が増えた国もあります。
私は、同性婚を認めないと言う事は、同性婚を認める国に移住すると言う選択肢を性的マイノリティに残す形になり、かえって国の富を失うリスクになるのではと危惧しています。
市場が開拓されていないからこそ、同性間のブライダルビジネスや、移住者の誘致など、様々な余地があるようにも感じています。
性的なマイノリティの同性婚の権利を認めるか認めないかは、実は国全体に影響を与えかねない問題でもあるのです。 また、人口減少の本当の理由は何なのか、性的マイノリティの責任にせずに、政策や今後についても深く考える事も重要と言えます。