私の見たオバマ大統領と「口だけの政治家」の姿

オバマ氏への単独インタビューに成功した2010年中間選挙

私が以前勤めていた大手マスメディアの駐在員としてアメリカのニューヨークに赴任したのが2010年の9月のことだった。次いで2日目には国連総会の取材。周囲にいる記者に話を聞くと、一番少ない人で3か国語をほぼネイティブに話せることを知ると、あまりに日本の取材現場とのレベルの差に愕然としたものだった。

そして、家族をニューヨークに呼び、まだ家の中の家財道具も片付かないままで取材に当たらなければいけなかったのが2010年の秋に行われたアメリカ大統領選挙の「中間選挙」だった。当時はオバマ大統領率いる民主党の苦戦が伝えられており、メディアの寵児となっていた共和党のサラ・ペイリン氏などは喜々とした多くのメディアインタビューに答えている中で、オバマ大統領は「今回の選挙では個別の取材は基本的には受け付けない」と公表。ネガティブキャンペーンに利用されることを恐れてのことだろうが、われわれメディアの人間はオバマ氏の表情や肉声を取ることに、随分と苦労していた。

そんな中で、選挙直前となった10月の末に、我々はオバマ氏がState of New Hampshire(ニューハンプシャー州)のある大学において、支援者を集めた集会を行うという情報を得て、スタッフとともに車を飛ばした。

ニューハンプシャー州はアメリカ大統領選挙の予備選が一番最初に行なわれる州として知られ、大統領選挙でも多く取り上げられる場所の一つなので足場固めがしたかったのだろう。会場に到着すると、2万人以上いる観衆がオバマ氏の演説に酔いしれている。なるほど、相変わらず【演説】のうまさは天下一品である。
当時アナウンサーであった私は、彼の演説を聞きながら「これは司会者の喋り方だな…」という印象を覚えたことを今でも記憶ししている。いわゆる「緩急」のつけかた、声を小さくする場所と一気に盛り上げる場所…「観衆」という存在の盛り上がりポイントや高揚を熟知している、と感心したものだった。

そんなオバマ氏が演説を終えて一番前の観衆たちに握手をして回り始めた時だった。
私たちのテレビクルーは正面向かって左サイドにいた…というか、その場所しか入れなかったのだが、我々の反対側、向かって右サイドで…確認できなかったが何らかのトラブルが発生した模様だった。どうも、詳しく確認はしていなかったが、声を聞く限り、共和党の支持者が入り込んでいたのか、とにかく何らかのトラブルが起きた。我々を押さえていた警備員たちは、全員一斉にその左サイドに集まり始めた。

しかし、大統領たるもの、そんなものに動じていてはいけないのだろう。あわてる警備員たちをしり目に、オバマ氏は我々の元にまで回ってきた。通常だと止められるはずのところだが、偶然、我々の目の前に警備員たちはいない。あっと言う間に最前列まで入り込んだ我々は、何とそのまま私が彼と握手をし、「日本のメディアです。一言!」「わざわざありがとう!非常にいい戦いが出来ているよ!」というコメントを取ることが出来た。言うまでもなく、世界中のメディアにコメントを発していないオバマ氏の2010年の中間選挙における唯一のコメント取材というスクープとなった。

よくメディアの人間がスクープがどうの、と言って胸を張っているのだが、多くのスクープはこういった「単なる偶然」から生み出されることの方が多かったりするのが実情だ。

とにかく「口先だけが上手かったオバマ氏」

そんな2期8年にわたりアメリカというよりは世界のトップで居続けたオバマ氏だが、私の評価はハッキリ言って「ゼロ点」に近い。いや、むしろマイナス点といったところか。あれほどに「口だけが上手い」大統領は他にいなかったような気がする。どうかこれを日本人の皆様にも学んでいただきたいのだが、日本にも
「それっぽく口だけが上手い政治家」
は山のようにいる。が、残念ながら、
「どんなに嫌われ者になっても未来のために実行する政治家」
はほとんどいない。政治家の本質は私は「嫌われ者」だと思っている。嫌われ、文句を言われ、それでも国民のケツを叩きながら、未来が明るくなるように動き、働く。

政治家のアピールとパフォーマンスでは国民は豊かにもならないし成長もしない。オバマ氏に対して私は最も残念だったのが広島訪問だった。

ご存知のように、オバマ大統領はプラハ演説によってノーベル平和賞を受賞している。そもそもそれ自体が意味不明なのだが、この名演説…簡単に言うと「口先だけ」によって彼はノーベル賞を取るわけだが、私はかねてから言っている通りで「政治とは結果」である。言ってることとやってることが違うのであれば、それはどれだけご立派な口上を述べて世間と大衆が喝采を送ったところで私は評価しない。

オバマ大統領は「ノーベル平和賞」を受賞した。そのパフォーマンスの一環として、広島を訪れ、献花した。

オバマ大統領はパフォーマンスの一環として、広島を訪れ、献花した。<

が、その訪問たるや、惨憺たるものだった。何の意見も発しないで遠巻きにしかものを言えないメディア軍団は必死になってヨイショしていたが、オバマ氏は原爆記念館に飾ってある多くの資料をほとんど見もせずに僅か10分でスルー。行ったことのある方は分かるだろうが、あの資料館、ほとんど歩き続けるだけで10分以上かかる。要は最短ルートを「通っただけ」と推察される。

さらに、許せなかったのがあの演説の冒頭。

「71年前の朝、青空から死が降ってきました」

アホか、と。お前たちアメリカ軍が民間人の大量殺りく兵器を投下しただけだ、と。なんで言わないのかメディアの報じ方を見ながら悲しくなった。2発の原爆で16万人が殺戮された。その国の大統領が完全に他人事のようにポエムを読み始めた。
喜んでいるサヨクメディアたちはいたが、ハッキリ言って病気だと思った。

私たち唯一の被爆国である日本が求めるのは、世界から核兵器がなくなること…少なくとも「減ること」だ。誰が、議会でも多数派を得られもせず、肝いりの「オバマケア」もろくに実行できないレームダックにポエムを読んでもらって喜んでいられるのか。

言うまでもない事実を少々述べるが、アメリカはこの8年間、核兵器を一切減らしてはいない。さらにこちらのコラムを参考にしていただければわかることだが、この8年間でアメリカは「無人殺戮飛行機・ドローン」を中東に大量投入し、罪も全くない人々を空爆しまくっているという事実を忘れてはいけない。言うまでもなく指揮官はオバマ氏である。

さようなら、オバマ「あなたは史上最悪の爆弾魔でした」(プレジデントオンライン)

これらの話は私も田原総一郎氏・森本敏氏らとトークイベントを行わせていただいた『ドローン オブ ウォー』という映画の中でも詳しく描かれている。もしご興味のある方は一度ご覧になったらいい。遠いネバダ州から空中映像を見ながら、無人機を操って一般人を殺戮しまくる近現代の戦争を明確に描いている極めて秀逸な作品だ。

それらを見れば、オバマ氏が「ノーベル平和賞だ」などと、吉本新喜劇でも採用しないコントであることがよく分かる。

政治とは結果

何度も繰り返し言っていることだが、政治とは大衆を惑わすことじゃあない。
政治とは結果だ。
何を成し遂げたか、だ。それらは「印象」ではなく「数字」で現れるべきものである。

オバマ氏が8年間何をしたかと言えば、単純にとにかく「戦争をし続けた」といえること。そして、中東で何の罪もない一般人を殺し続けたことが言える。そして、例のオバマケア。日本型に近い国民皆保険制度など、出来るわけがないだろう。日本でももはや破たん寸前なのに、その程度の勉強すらしてこなかったのか、と悲しくなる。

が、日本でもとにかく「口だけが上手い」政治家が大量発生中だ。選挙の前でだけ上手いことを言い、聞こえのいいことを言い、選挙の前でだけ地元を回り握手をし続け愛想笑いをする。反吐が出そうだ。

国の10年未来15年未来を見据えて、今嫌われ者になっても戦おうという気概を持つ人間こそ、本当は政治家として評価されるべきだが、日本人は言い訳をつけて「変化しない」ことがまるでえらいかのように言われる風潮がある。

大切なことは選挙の前ではなく、何を言って何を実行したか、だ。恐らく今年の12月頃に行なわれるであろう解散総選挙では、どうか有権者諸氏には賢明なご判断を期待したい。

長谷川豊

長谷川豊

司会者・キャスター。
在京キー局で14年間アナウンサーをした後、フリーに転向。週8本のレギュラー番組を持つ傍ら、人気ブログや連載を執筆。 現在は執筆や講演・イベントなどで幅広く活躍している。時として過激な発言や提言が炎上することも。

ブログ「本気論 本音論」

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