平成27年の安保関連法案を巡る賛否(1)

はじめに

 

安倍内閣が作った安全保障関連法案に対しては、従前の政府解釈とは相容れない憲法の解釈変更のため、反対意見が多かった。

砂川事件の最高裁判決にある個別自衛権が否定されないのは妥当であり、自衛隊は自衛目的なら合憲で、必要最小限の範囲を超える武力行使はできないのが、従前の政府の見解であった。砂川事件の裁判では憲法九条が自衛のためのわが国自らの戦力の保持をも禁じた趣旨であるか否か判断していない。それに安保条約は高度の政治性を有するものとし、そのうち一見極めて明白な違憲性についてだけ審査するに止め、実質的な違憲審査を行わないとした。憲法9条2項によって国際紛争である戦争はできないというものである。
平成27年6月4日の衆議院憲法審査会では憲法学者が憲法違反と指摘し、6月15日の高知のホテルで行われた衆議院憲法審査会でも公述人のほとんどが違憲と答えていた。加えて戦争に加担するのではないかという漠然とした不安が形成され、払拭されないままに時間だけが徒に経過していった。

安全保障関連法案

この法案は11本の法律を一括で話し合うもので、国会での問答は晦渋なやりとりが多かった。

周辺事態法の改正案は重要影響事態法案に名称変更されるというもので、それだけでもわかりにくい。この重要影響事態では地球の裏側まで米軍の要請で集団的自衛権を行使しなければならなくなる不安がある。米国に反対できるのか、あるいは逆らえるのかという思いも浮上した。湾岸戦争やイラク戦争などのように戦争に巻き込まれるのではないかとの不安や懸念を抱くのは無理もないのだ。

政府側の答弁は抽象論ばかりだから理解が進まず、政府の説明不足を指摘する声は多かった。国会で詳らかにできないから抽象論に終始しているようだが、それでは国民主権を無視し、民主主義に反する。
守秘義務で説明責任を果たさないのでは国民そっちのけで政治家が何でもできてしまうのだから問題である。国家の機密事項だとしても、国会が最終的に決めると言っても、憲法を蔑ろにしていいことにはならない。

危惧する個別的自衛権の行使能力

新聞やテレビでも数多く取り上げられ、与党自民党の議員からは憲法の考え方を変えればいいとか、客観的総合的に判断して決めるとの発言が出ていた。
だが、それでは憲法の軽視になり、蔑ろにしてしまう。今後時の政府が恣意的に変えられることにもなる。

安保関連法案の提案理由について安倍首相は「日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している」と言う。たしかに軍事費を増やしている中国の東シナ海や南シナ海の動きには不気味なものを感じる。当然国民の生命財産を守るのは政治家の責任である。だが個別的自衛権の行使能力が脆弱では無責任か責任を放棄あるいは不作為となってしまう。

正々堂々と憲法改正するかどうか問え!

議論されてきた安保関連法制の整備だが、兵站である後方支援や弾薬等の提供、機雷掃海などが敵国から見れば軍事行動と見られ、武器使用を躊躇する自衛隊は弱点として捉えられ、真っ先に攻撃の対象にされるから、隊員の生命を危険に晒すことになる。
当然、国際紛争を解決するための海外派兵は武力行使を禁じた憲法違反なのだから合憲解釈には無理がある。非戦闘地域であっても攻撃されない保証はなく、事前に説明するとはいえ、危なくなれば日本だけ一時中止し、撤退するのでは国際社会から信頼されない。

当該安全保障の問題は小手先の変更よりも真正面から取り組むべき性質のものである。集団的自衛権の行使で地理的要件を撤廃する必要はあるが、それでも特定の事情に置いては一定の制限を設けたり、限定的にするのは理解できる。

憲法改正のための憲法審査会が動きだしたが、まだ緒に就いたばかりである。実現可能でないのは与党の多くの政治家の及び腰が影響しているように思う。原発上空に無人軍用機が飛来し、遠隔操作で空爆をすることも可能になっているので、未然に防ぐとか、それなりの備えは必要である。特定秘密として機密扱いにするより、危機感があるのなら安保法制よりも憲法改正するかどうかを真正面から正々堂々と国民に問うべきだ。

山川啓介

山川啓介

50代前半、独身、男。徳島県阿南市で小さな飲食店を経営し、自治体の委員や専門学校の非常勤講師をしている。安全保障やエネルギー、原発政策などに強い関心をもつ。