村上春樹氏「騎士団長殺し」が物議!南京事件の犠牲者は40万人?

毎年、ノーベル文学賞候補にノミネートされている、人気作家の村上春樹氏。4年ぶりに「騎士団長殺し」という長編小説を発表しました。ところが、「南京事件」に触れた部分で、従来の研究と異なった記述が。ファンタジーとはいえ物議を醸しだしています。

南京事件の犠牲者は40万人か?

村上春樹氏の小説「騎士団長殺し」第二部が、今話題になっています。南京大虐殺を想起させる物語の中で、中国人の犠牲者を40万人と記述しているのです。中国側の見解でも、南京事件の犠牲者は30万人。実際はどうなのでしょうか?

「南京事件」とは、1937年12月13日南京陥落後の日本軍占領下で、6週間の間に中国人が大虐殺されたというもの。当時南京市では、住民を守るため「安全区」が設置されていました。南京陥落直後の「安全区」では、殺人事件は僅か数十件。ところが、英字紙記者のティンパーリーが出版した「戦争とは何か」によって、4万人近くが虐殺されたと広まったのでした。

国内では高校教科書検定で、20万人説が検定を合格するといった時期も。しかし、南京戦開始時の安全区委員会委員長だったジョン・ラーベは、南京市の人口を20万人としているのです。南京市の全員が虐殺されたとしたら、どうやってその証拠が確認できたのでしょうか?

南京大虐殺30万人説を流布したのは誰か?

南京大虐殺で30万人の中国人が犠牲となった。この話が出たのは1971年の事。1971年8月から12月まで、朝日新聞紙上で連載された「中国の旅」でした。

当時、朝日新聞の花形記者であった本多勝一氏は、残虐非道な日本兵の話をルポ。日本人の度肝を抜きました。実際には、中国側が用意した証人からの聞き取りだけで、事実を確認する事すらなかったとか。この連載記事は話題を呼び、単行本になりました。

日本のクオリティーペーパーである、朝日新聞。本多氏の「中国の旅」は、その後「南京大虐殺記念館」の根拠にも。南京大虐殺30万人説は現在、中国側の見解になっています。

当時、南京市にいた人々の証言

2007年WiLL増刊12月号「南京大虐殺」に、当時日本兵として生き残った方の証言が掲載されました。それによると、南京陥落後に入城した元日本兵の方は、暫く留まったものの虐殺など見た事もなく、市民は商売を営んでいたそうです。日本兵相手の露店もあったそう。

また、安全区での人数「20万人」が、日本兵が滞在中減少してはいなかったと証言する方も。1937年12月13日に日本軍が南京入城した後は、安全区の外に人はいなかった。米国の安全区委員会が、南京市民を安全区に保護していたからです。

元日本兵の方々の証言でも、陥落後の南京市内は平穏な状況でした。殺戮・強盗や強姦など起こりうるはずもなく、事実とはまったく違っています。

1938年の「アサヒグラフ」には、南京陥落後の日本兵と中国人が笑顔で写っている写真が掲載されています。実は当時、朝日新聞の記者が南京戦を取材。貴重な写真が記録として残っているのです。

さらに、元TBSの人気アナウンサー・鈴木史郎氏がこう証言しています。鈴木氏は南京戦直後に天津に住んでいました。とても穏やかだったとか。幼少の頃南京にもいた事があり、お父さんから「日本の兵隊さんから食糧を分けてもらい、中国の人は助けられた」という話を聞いたのだそうです。安全区委員会委員長のジョン・ラーベは、日本軍に感謝の意を伝える書簡を送っており、南京大虐殺の事実はあり得ません。

日本と中国の友好のためにも真実を!

2015年、「南京事件」がユネスコ世界遺産に登録されるという由々しき事件が。日本はユネスコでトップクラスの分担金を負担しており、何ともお人好しの国民性が露呈しました。

今回、世界的に有名な作家・村上春樹氏の小説が、南京事件の犠牲者を30万人から40万人に。中国のウェブサイトでもこの件は紹介されており、村上氏の影響力の大きさが分かります。

日本と中国が未来志向で友好を深めていくためには、事実に基づいた正しい歴史認識を共有する必要があるでしょう。村上春樹氏の作品はファンタジーだとしても、両国にとって如何なものでしょうか?自国の歴史に誇りを持てる人間だけが、他国の歴史に敬意を持てると言われます。真実を直視し、両国が敬意を持ってお付き合いしたいものです。

紫苑やよい

紫苑やよい

50代女性。愛知県在住の主婦。学生時代に憲法を専攻。政治に興味があり、保守系ブログ歴10年。歴史や伝統文化が好きなので、保守というスタンスです。