せめて立派に開催を!という思いも届かぬ「理念なき」東京五輪の憂鬱

リオ五輪を目前に控え、さまざまな競技の代表選手が決まっていく喜ばしいニュースを眺めつつも、憂鬱なのはゴタゴタ続きの我らが東京五輪ですよね。おもてなしの心のはずが、いったいどうしてこんなことになっているのか、その経緯を勉強してみました。一般人が政治を読むことの難しさを、改めて痛感する思いです。

日本人にとってのスポーツ精神とは異なる、巨大スポーツイベント招致の実態

スタジアム建設の遅れや長引く不況、改善されない治安……開催を目前に控えたリオ五輪がいろいろと大変なことになっていますね。ジカ熱なんていう不測の事態も起きたりして、4年後は我が身だなと同情を禁じ得ません。しかしまあ、今どきの世界的なイベント招致の実態を思えば、身から出た錆という思いがあるのも確かです。
例えば私のように海外サッカーが好きな人なんかは、ワールドカップなどといった大きな大会が行われる際に、その開催地がどういった思惑で決定されるのかという、限りなく黒に近いグレーなプロセスについて、肌感覚でなんとなく理解していらっしゃるでしょう。

サッカーのワールドカップというものは6月~7月に開催される屋外でのハードなスポーツの大会にもかかわらず、2022年の開催地はなんと、6月には夏である北半球のなかでもさらに酷暑のカタールに決まりました。建前としては「巨額の投資で冷房設備を充実させるので、選手の健康に問題はない」というプレゼンテーションが受け入れられたのですが、開催地が決定してしばらく経つと、やはり無理だということで開催時期を半年ほどずらし、11月~12月開催に変更するという失態に至りました。
競技場のデザインがパクリだった、ロゴがパクリだったというのも十分に恥ずかしいんですが、「そもそも気候的に、その時期の開催は無理でした」って、ちょっと豪快すぎますよね。

こうして普通のファンにすら「選考の基準がおかしい」と感じられるようになるのだから当然のことですが、開催地選考を含む不正の捜査をしていたFBIやスイスの司法当局によって、国際サッカー連盟と関連団体の汚職の実態が次々と暴かれていっています。お粗末な話ですが、でもまあ、それがスポーツ界のひとつの真実です。

理念なき招致は世界の常識。ゆえに都知事選でも五輪招致の是非が問われたが…

そういう真っ黒な部分がありつつも、わが国に限らず、どこも強引にオリンピックやワールドカップを招致して国内経済の活性化や世界での存在感向上を目論みます。
しかし、実際にそういった効果が得られるかというと、意外と期待はずれだというのが近年の通説です。開催の準備として土木工事をバンバンやっている間の景気は活性化されるのですが、2004年の開催地であったギリシャはオリンピック後に経済が低迷し、2008年の北京でも、オリンピックの開催年及びその翌年には経済の成長率が鈍化しています。そもそも1964年の東京五輪で「オリンピック景気」と称されるほどの好景気に湧いた日本が、その反動で証券不況を引き起こしてしまったという苦い経験をしているのでした。

よって、石原慎太郎氏が五輪招致を公約に掲げた2007年の都知事選では、五輪招致の是非が争点のひとつになりました。石原氏への対抗候補として有力視されていた浅野史郎氏、黒川紀章氏や、吉田万三氏は揃って五輪招致の見直しや反対を訴えていましたが、次点の浅野氏に110万票の大差をつけて石原氏の3選が決まります。この結果は当時の世論が五輪招致容認の風向きだった証左ですが、東京が2016年の五輪開催地候補に落選すると、その後の世論は五輪招致に否定的な空気に向かい始めます。

東日本大震災の混乱が収まらない2011年4月、自粛ムードで行われた東京都知事選では、引退を示唆していた現職の石原氏が、森喜朗氏から五輪招致を託され土壇場で出馬を表明。このときはマック赤坂氏が五輪反対の公約を掲げて戦っていましたが、震災によって原発問題が急遽クローズアップされるなど、選挙戦における争点があちこちにとっ散らかったままに、石原氏が「困ったときの現職」と言わんばかりの4選を果たしました。

そして、石原氏が国政参戦のために都知事を辞任することとなった2012年には、宇都宮健児氏や中松義郎氏が五輪招致に待ったをかけるスタンスで立候補していましたが、石原氏の都政を引き継ぐ猪瀬直樹氏が歴史的な大差による勝利で都知事に就任。かくして、五輪招致の是非を一応は問われつつも、五輪以前に知事としての安定感が求められたような形で、これまでの都知事が選出されてきたのでした。

猪瀬氏が在任中の2012年、ついに2020年の五輪開催地が東京に決まります。しかし、最終候補に残った他の都市における世論の五輪開催支持率が70%以上だったのに対し、東京はわずか47%で過半数を下回るという熱のなさで、世論に歓迎されていない都市での五輪開催という異常な事態に。この数字が物語るのは、都知事選びにおいて五輪の招致が重要視されていなかったのだということでしょう。しかしそれでも、都民が選んだ知事が成し遂げた大仕事です。せめて無事に、世界に胸を張れるオリンピックの開催を、というのが都民のささやかな願いとなるのですが、そうは問屋が卸しませんでしたね。

身を持って知った五輪招致のリスクと、政治の流れを読むということの難しさ

五輪開催を4年後に控えたタイミングで、新国立競技場建設計画の白紙撤回、競技場の設計デザイン著作権の問題や五輪ロゴの盗作疑惑、聖火台の設置場所についての検討不足、ロビー活動での買収疑惑と、よくもまあこれほどといった感じで問題が続出しています。これらの問題について詳しく触れていくと、「日本スポーツ界の闇を暴く!」みたいなことになってしまうので触れません。しかしその根本にあるのが、とくに清廉さが要求されるオリンピックを招致した、という意識の欠如であることは間違いのないことでしょう。

乱暴に言えば、大規模なインフラ整備ができて、便乗してなんかいろいろ建て直すことができれば、招致するものはなんだっていいというスタンスです。そうじゃなければ絶対の主役である聖火をないがしろにするわけがありませんし。

そうしたずさんな計画のツケで、今や東京五輪にかかる費用は当初の予定の3倍以上となる2兆円を超えると言われ、公的資金の投入が避けられない状態になっています。日本なら決まったことはちゃんとやるだろう、ましてや世界に対しての約束ならなおさら、と楽観視していた国民の期待は大きく裏切られたどころか、そのツケが国民に回ってきているという状態です。
なにもこれほどのスケールで学ばされなくてもいいと思うのですが、国の肝いりで注力してきた事業に破綻があると、結局のところ手痛いダメージを受けるのは我々だ、ということを勉強させられました。そして、森喜朗氏の要請を受けての石原都知事の引退撤回が、まさかこれほどの事態につながっていくなどと、どれほどの人が具体的に想像できていたでしょうか。偉い人たちのさまざまなミスが重なって今の状況になっているとはいえ、これからは何事につけ私たち国民も、最悪の状況を想定していかなければなりませんね。

水野羊

水野羊

東京都在住の40代ワーキングウーマン。現在はデザイン会社に勤務しつつ、元マスコミの中の人だった同居人とともに、老後について憂う日々。だけどぜんぜん前向きです。

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