「民進党」は新進党のようにならない?

民進党と聞くと、台湾の政党が思い浮かびますが、かつて日本にあった新進党とも響きが似ていますね。
新進党はわずか3年で解党しました。異質な勢力の寄り合い所帯であり、内部対立によって瓦解したのです。民進党はどうなるでしょうか。結束を保って自民党と対峙できるでしょうか。

1994年に結成された新進党

新進党が結成されたのは、今から20年以上前の1994年です。
1993年に、日本新党の細川護煕氏を首相とする非自民連立政権が発足し、自民党は結党以来、初めて政権を失いました。
1994年に細川首相が辞意を表明し、新生党の羽田孜氏を首相とする連立政権が発足しました。
しかし、連立政権内では、かねてから、新生党の小沢一郎氏と、社会党が対立していました。

社会党は連立政権を離脱し、自民党と連立政権を組むことにし、社会党の村山富市氏を首相とする自民、社民、さきがけの3党による自社さ政権が発足したのです。
これによって、野党になった旧連立政権の各党、つまり新生党、公明党、民社党、日本新党、社民連などが合流して新進党が結成されました。

戦後の日本では、自民党による政権が続いてきましたが、新進党は初めて、自民党に対抗しうる政党として注目を集めました。
党名の新進党は、そのころ、さまざまな新党が誕生していた中で、さらに新しい新党として、「新・新党」と呼ばれていたところに、同じような音の言葉を当てはめたものです。

3年で解党した新進党

新進党の党首には、自民党で首相を務めた海部俊樹氏が就任しました。そして幹事長には、細川連立政権を裏で操っていたと言われる小沢一郎氏が就任しました。
新進党は結党の翌年の1995年の参議院選挙では、比例代表では自民党を上回る議席を獲得しました。
しかし、その年末の党首選挙では、それまでは共同して行動してきた羽田孜氏と小沢一郎氏が激突して、内部の対立が表面化しました。
そして1996年の衆議院選挙では、政権交代を目指しましたが、振るいませんでした。
羽田孜氏や細川護煕氏など、結党以来の主なメンバーまでが離党し、新進党は1997年に、結党からわずか3年で解党しました。いくつもの党に分裂したのです。

あまりにもばらばらだった新進党

今から思えば、新進党はあまりにも異質な勢力が一つになっていたので無理があったのでしょう。
宗教団体を背景とする公明党、労働組合を背景とする民社党、自民党を離党してできた新生党、細川氏を中心とする日本新党など、もともとの性質があまりに違いすぎました。
政策もそれぞれ違います。選挙で勝てれば団結を保てたのでしょうが、新進党は自民党の壁を突き破ることはできませんでした。

それに比べれば、民進党は、民主党と維新の党が、合流するだけですし、維新の党のメンバーはほとんどが、2012年に橋下徹氏が結成した日本維新の会に、民主党を離党して参加した人々であり、もともと民主党にいた勢力です。
他には、もともとみんなの党だったのが、江田憲司氏とともに離党して結いの党を結成した勢力もいます。

民進党は内部対立をどう克服するかが課題

民進党は、もともと民主党にいた勢力が再結集し、それにみんなの党にいた勢力が加わるという程度ですので、かつての新進党ほど異質な勢力が集まったわけではありません。
ただ元をたどれば民主党も、社会党にいた勢力もあり、自民党にいた勢力もあります。労働組合を基盤とする勢力もいれば、労働組合を批判する勢力もありますので、考え方の違いは大きいでしょう。
安全保障をめぐる考え方も様々です。旧社会党のように憲法9条を守ろうという人もいれば、時代遅れだから改憲しようという人もいます。まだまだ内部にはいろいろな対立があるように思われます。
選挙で勝利するためには内部の対立を克服することが不可欠です。新進党のように四分五裂せずに結束を保って、自民党と公明党という強力な与党に対峙できるでしょうか。
まずは参議院選挙で、その真価が問われることになります。

浜風隆

浜風隆

30代後半の男性。千葉県在住のサラリーマン。引きこもりの政治オタクだったが、今は育児もしている。皿洗いをしながら放送大学を聞くのが日課。

投票するときの判断基準は?

結果を見る

Loading ... Loading ...